どうもこんにちはGです。
今回は「伸びる姿勢」というものについてお話したいと思います。
目次
何をやってもできる人になる方法
できる人はどこが違うのか
同じような仕事をやってても、現時点で同じような能力であっても、どんどん伸びていく人といつまでも同じようなところで足踏みしている人がいるんですよね。
この伸びる人と伸びない人の違いというのは、能力とか普段の生活というのも勿論あるんですけど、もっと手前のその人の考え方とか、その人のそもそもの姿勢が一番大事なんですよね。
能力の違いというのは、例えば小学生と大人を比べているわけじゃなければ、そこでとんでもなく差がつくとは言い切れないんですよ。
勿論、能力は大事ですけれど、向き不向きとか、その人の合う合わないっていう場所もあるし、得意不得意とかを考えると、そこだけが勝敗の鍵じゃないんですね。
それよりも能力の差が生まれている理由とか原因の方が大事で、そこを考えると、結局その人たちの普段の行動とか考え方という「姿勢」に立ち戻るんですよ。
伸びる人の姿勢とは
じゃあどんどん自分がスキルアップして、能力アップして、人の信頼を得て仕事をどんどんこなせるようになる姿勢とは、どんな姿勢なのでしょうか。
ポイントは2つあると思ってまして、1つ目は何でも自分のせいにすること。
そして2つ目は、自分がどのように問題解決できるか考えて行動することなんですね。
まず1つ目の何でも自分のせいにすることから説明しますと、仕事をしていたら、うまくいかないこととか、ネガティブなことは沢山あると思うんですよ。
そのときに、不景気だからとか、運が悪かったとか、このやりとりの失敗は結局相手が説明不足じゃないかとか、相手の言い方が悪いんだっていう風に、人のせいにすることは簡単なんですよね。
例えば自分が何か教えてもらったけど、うまくいかなかったときに「教え方が悪いんだ」「この教材が悪いんだ」みたいなことを言うのはすごく簡単なわけです。
だけどそれを言ってる限り、それで話が終わっちゃうんですよね。
何が悪い、あれが悪い、誰が悪いって言ったら、そこで問題が何も解決してないのに解決したような体になってしまうので、そこで話が終わるから前に進まないわけです。
会社が悪い、日本が悪い、上司が悪いっていうことは、裏を返せば、だから俺は悪くない、だから俺は何もしなくていい、つまり何も努力も改革もしないって言っているのと一緒なんですよね。
だから進まないんだよ、変わらないんだよ、成果出ないんですよってことなんですよ。
まず何にしても自分のせいだと思えばいいんですね。
うまくいかなかったら「俺もっとできたんじゃないかな」と思うわけですよ。
何をやってもできる人が実際にやっていること
相手が悪いときも自分の改善点を考える
ただそうは言っても、相手が悪いっていうことも沢山あるんですけど、日本の江戸の考え方で、「うかつあやまり」という風習があったらしいんですね。
例えば足を踏まれた時に、当然踏んだ側はすいませんって謝るじゃないですか。
そういうときに踏まれた側も、こんなところに踏まれちゃうような場所に迂闊に足を出していた私も悪かったです、ごめんなさいって謝る。
これを「うかつあやまり」って言うんですよ。
こういう発想で考えれば、例えばメールのやりとりとかで誤解が発生して、相手の誤解だったとしても、誤解されるような文章を書いてしまった私も悪かったと思えるじゃないですか。
お客さんが怒ったとしても、お客さんが怒るような環境を作ってしまった、もしくは相手が怒るまで事前に気付けなかった自分に問題があったのかなって思えるじゃないですか。
そういう風に自分ごとにして考えると、自分がやるべきことは見えるんですよね。
だから自分のせいにすることが大事なんですよ。
自分では変えられない領域は気にしない
ただ、ここで終わって欲しくなくて、ここで終わっちゃうとよくあるメンタルの弱い、抱え込んでうつ病になる人になっちゃうんですね。
全部自分が悪いってクヨクヨするのは意味がないので、問題が起きて自分が悪かったと思えば、自分が改善できるとか、自分が行動できる範囲があるはずじゃないですか。
それを2つ目の自分がどのように問題解決できるか考えて行動することが大事になるんですね。
ここで一つポイントとして、自分が何が悪かったかを考えて、どのようにしたらいいかを考えるのが凄く大事なんですね。
悩みを抱え込む人は、自分以外のところまで抱え込んでしまうんですよ。
この世には、自分が何とかできる範囲と自分では何ともできない範囲っていう2つがあるんですよ。
自分が立ち上がるとか、早起きするとか、自分が努力する、自分が謝るっていうのは、自分が手が届く範囲です。
だけど相手が自分のことをどう思ってるとか、相手がどのように感じるとか、それこそ日本の経済とかは、自分がいくら手を伸ばしても変えられないじゃないですか。
その自分ではどうしようもない所まで抱え込むから、悩んで苦しんで鬱になるんですよね。
自分が抱え込む必要があるのは、自分の手の届く範囲だけでいいんですよ。
例えば相手にキツいことを言われたり、批判されたら、すごいショックも受けるし、クヨクヨもしますよね。
だけど、それで誤解されないような自分になろうとか、そういう批判に落ち込まない自分になろうとか、批判されないような努力をしようっていう自分の手の届く範囲を考えるのはアリなんです。
でも「あの人は俺のこと嫌いなんだろうか」とか「努力してもまた何か言われるかもしれない」みたいな、自分の手の届かない範囲の所をグチグチと妄想して、自分を傷つけるのは辞めないといけません。
頭の固い人とか、前向きじゃない人の発言って、何か決めつけちゃってるんですよね。
ナントカだと思うとか、ナントカに決まっているとか、事実ではないことを事実かのように話して、それを勝手に問題解決とか行動できない理由に据えちゃうんですよ。
だけどそこは手の届かない範囲なので、考えちゃいけない所なんですよね。
だから人間は、自分の手の届く範囲、自分が変えられることしか考えちゃいけなくて、そこを毎日毎日ちゃんと直していく、変えていくことだけが大事なんですよ。
どんどん問題解決をしていく
そうすると、少なくても自分に関わる問題はどんどん解決していくし、上手くいくわけですよね。
もちろん、1回や10回ではうまくいかなくても、「今回はこれがうまくいかなかった。次からはどうしたらいいかな」って改善していけば、だんだん上手くいくに決まってるじゃないですか。
それを繰り返して、積み重ねていけば、少なくとも何もしなかった頃より上手くいくようにな
りますよね。
そういうのを積み重ねていった人は、何をやってもうまくいく人のように見えるんですよ。
なんかうまくいっている人は、何もかもうまくいってるように見えるじゃないですか。
それは当たり前で、何もかも努力してるからなんですよね。
ビジネスのセンスがあるとか、人間関係が良いとか、モテるとか、そういう一個一個の話じゃなくて、
目の前にある問題とかに立ち向かって、それを乗り越えていってるから、「うまくいく」っていう状態に至れるんですね。
それを全ての分野に対して発揮してるからなんですよ。
自分もうまくいく状態になりたければ、少なくともこの世の全て、日常の全ては問題解決なわけですから、それをどんどん問題解決していけばいいんですよね。
どうすれば問題解決をしていけるか
自分ごとと認識する
問題解決していく為には、まず「これが問題である」と理解することが必要ですよね。
その為には、その問題は自分に与えられた問題である、つまり自分ごとであると認識することが大事なわけですよ。
自分ごとだと認識したら、自分の出来る範囲での解決を考えられるわけです。
自分ができない範囲の解決を考えてもしょうがないですよ。
これも自分にはどうしようもない範囲の妄想の話になっちゃうので、あの人がこうなったらいいなとか、日本経済が良くなればいいなって考えてもしょうがないんですよね。
そんなのは寝てる間だけで良いので、自分には何ができるかを考えて、行動するだけでいいんですよ。
愚痴を言う意味はない
だから居酒屋とかで、経済が悪いとか、上司が悪いとかグチってるサラリーマンいますけど、あれもお前のできない範囲をグチって意味あるのかって思っちゃうんですよね。
逆にお前のできる範囲の行動を実際に起こしてんのか、という話なんです。
先日、大学時代の同級生と飲んだんですけど、その彼は結構大きい企業に勤めてるんですよ。
でも会社とか上司に対して、あれがいけない、これがいけないって語ってはくれるんですけど、そんな語っている暇あったらお前が何かやれよっていう風に思っちゃって、というかそれで話が終わっちゃうじゃないですか。
それをちょっと酔った勢いで言ったんですけどね。お前は何やってんのと。
その彼は、「今の状態だとそういうのって上にも通じないから、もういつか起業するしかないのかなと思ってる」とか言い出したんで、ちょっと笑ってしまったんですけど。
40過ぎて「起業するしかないかなと思ってる」なんて、そこまで起業の世界は甘くないですからね。
小さなことから始めよう
まあそれは私の個人的な体験ですけど、何かのせいにして、ワーワー吠えたてて、何か事を成したような気になっている時点で終わってるわけですよ。
どんな小さいことでいいんですよね。
「政府ガー」「安倍ガー」とか騒いでる暇があったら、バケツ一杯でも打ち水するとか、家から駅までのゴミを拾うとか、その方がよっぽど世の中を実際に良くしてるじゃないですか。
結局、全てはそういうところの積み重ねなんですよね。それをやらずに口だけ吠えててもしょうがないんですね。
だから自分のできる範囲をちゃんと見極めて、自分ごとにしてやっていく姿勢こそが、一番大事で、そして何より究極の話なんですよね。
これが土台を作るので、この土台ができれば、後は何を学んでも、何を体験しても上手くいくんですよ。
でもこれを土台がなければ、何を学んでも何を体験しても、結局他人のせいにしてグラグラ失敗するのでうまくいかないんですよね。
だから今回は相当大事な話をしてるので、これは全ての究極の話だと思って何度も学んで欲しいと思います。
それでは今日は以上となります。ありがとうございました。
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