新年明けましておめでとうございます。Gです。
2018年もよろしくお願いします。
新年を迎えるということは、生きていく上ではそんなに特別変化があることじゃないかもしれませんけど、一つの区切りということは間違いないですよね。
人間は今のところ永久に生きられる生き物じゃないので、やはり区切りとか節目というのをどうでもいいと捉えるのか、きちんとそのときに立ち止まって考えるのか、これによってその人の人生というのは、非常に変わっていくと私は思っています。
特に一年が終わってしまい、一年が始まるという新年、お正月というのはですね、自分の人生について考える非常に良い機会じゃないのかなと思います。新しい年を迎えて、凄く嬉しい気持ちがある反面、一年死に近付いた、自分の終わりに近付いたというときでもありますから、この一年をどのように生きていくのか、それをちょっと立ち止まって考えるべき時期なんじゃないかなと思います。
今日は新年の抱負というか、今年の目的とかを皆さん考えられている時期だと思うので、そのお役に立つようなお話をしたいと思います。
人はなぜ怒りを感じるのか
今日お話したいのは、自分が何かを成し遂げたい、やりたいというとき、自分一人の力でやろうと思わない、というかそれは無理だよということのお話です。そもそもこのお話をしようと思ったのは、ちょうど年末に私の大学時代の後輩から、ちょっとした相談があったんですね。その者は凄い真面目で、理想が高いんですけれど、怒りっぽい所があって、問題を起こしがちなタイプの猪突猛進型の人間なんですね。
その者がやはりその性格でトラブルを起こしてしまうことがあるから、カッとなって怒ったりしないようにする為には、どうしたらいいでしょうか、という相談が私の所にあったわけです。その怒りをコントロールすること自体は、『アンガーマネジメント』とか言われるように技術の一つとしてやり方とかはあるわけですよ。ただ私が思ったのは、そもそもなんで怒りが発生しているのか。そっちの方を解決しないと、小手先のテクニック論でどうこうなる時期は過ぎていると思ったんですね。
よくこういう相談をされる方は、対症療法的な答えを求めがちです。つまり「こういう問題があるから、その為にどうしたらいいでしょうか」という流れですね。ただそういったものに対してのテクニックや解決法というのは、その本人も聞いたことがあったり、本で読んだことあったり、自分でなんとなく分かっていたりするんですよ。
いまぐらい情報が氾濫している中で、問題に対する答えに出会わないというのは、まあ無いんですね。だけどできていないというのが、本当の所だと思うんですよ。じゃあ何でできないのか。そういう所を追求していかないと、本当の意味での問題解決はできないんですよ。
その彼の場合は、腹が立ってしまう、人間関係とか仕事とか何か物事が上手くいかないときにカッとなってしまう。その勢いのまま行動してしまって、問題を起こすということだったんですね。そもそもじゃあ何で腹が立つのかということですよね。
これはですね、思い通りになる、人間関係でも仕事でも例えばくじ引きでも、自分の思い通りになる状態というのを理想として想像しているわけですね。自分の中で、自分のやる行為や人間関係、持っているものとかが思い通りになる状態というのを理想にしているわけです。
しかし現実はそうならない、現実の状態はそうではない。この理想の状態と現実の状態の間にズレが発生しているから、「どうして思い通りにならないんだ!」という気持ちが怒りに変わっているわけです。
怒りの感情というのは、色々な原因があるように見えますけれど、おおむね自分の思い通りにならないということが原因なんですね。大きくまとめてしまえば、それだけと言ってもいいくらいです。
つまり相手が自分の思い通りにならない、現実が思い通りにならない、収入が思い通りにならない、そういった現実と自分の理想にズレが生じているので、そこに対するストレスが「怒り」という形で出てくるわけです。
もしかしたら理想なんて大層なことは思ってない、という人もいるかもしれませんけど、本当にそうであれば怒りではなく悲しみが生まれるんですよね。あ〜また失敗してしまった、俺はどうしようもない、悲しいな、になるはずなんですよ。だけど意識していなくても理想の状態というものを自分の中で持っているから、それとのズレに対しての怒りが発生するわけです。
つまり何か上手くいかないことで腹が立つということは、その人が単に子供が癇癪を起こしているのと一緒で、自分の思い通りにならないという気持ちが怒りを呼んでいるということをまず知るべきなんです。
理想と現実のズレの埋め方
人間は理想の自分があるから、前に進みたい、努力したい、今以上のものになりたい、と思えるわけですけど現実の自分はそうじゃない。現状はズレが発生しているわけですから、ここを埋めていかないといけないわけです。これを埋めずに放置しておくと、いつまで苦しんだり怒ったり、悲しんだり、ネガティブな気持ちを持ち続けないといけないわけです。
じゃあこのズレはどうやって埋めるのか。方法は2つしかありません。
1つ目は自分が上に上がって、理想の現実に近づいていくという埋め方です。理想の状態と現実の状態の間を埋めるわけですから、自分が理想に近づく、これで差が埋まっていきます。
そして2つ目が現実を引き下げるという埋め方です。多くを求めない、何かを期待しない、自分の能力とかに期待しない、自分の未来に期待しない、自分の人間関係に期待しない。そうやって理想の状態をどんどん引き下げて、こんなもんだ仕方がない、という風に現実に合わせていきます。これをやることによって、理想と現実の間の差が埋まることで、感情的な苦しみから逃れることができます。
これはもちろん、理想に向かって進んでいく方が、一度しかない人生としては、望ましい形だと思いますが、それは人それぞれですよね。その人それぞれの価値観で選ばれるべきものなので、別に理想に向かわないから、現実を下げる方向を選んだからといって、悪いとは思いません。
現実、諦めとか折り合いとか妥協とかそういったもので、人間は幸せになれるからです。ただそれを言っても仕方がないので、今回は理想に近づいていく、自分を上に上げていく方向で、お話を進めたいと思います。
そうなった場合、当然自分の本当に目指すべき所にいく為に色々な努力が必要となるわけです。つまり現状を変える努力ですね。それが収入なのか、人間関係なのか肉体的なものなのか、そういったものを変える為に必要な行為をしていくわけです。
ただその際に一番大事なことを念頭に置いて欲しいんですよ。それが「自分の力に過大な期待をしない」ということなんです。これを聞いている方は、ほとんどが20歳以上、多くの方は30歳、40歳以上の方だと思います。
もうそれはいい大人です。いい大人がこれまで普通に生きてきた、その積み上げの結果が現在の貴方の状態であり、人間関係であり、収入であるわけですよ。これを何かテクニック的なものをポンと持ってきたり、燃え尽きやすいモチベーションとかやる気とかを燃焼させることで、大きく今更方向転換できるかというと、そんな簡単なものじゃないんですね。できる人もいるかもしれないですけど、非常に少数だと思います。
これは決して貴方を馬鹿にしているわけでなくて、逆に貴方がこれまでしっかり生きてきたからこそ、今更ちょっとやそっとの力では、方向が変わらないよということなんですね。ここ誤解しないで欲しいんですけど、決して馬鹿にしているわけではありません。これまでの人生をちゃんと生きてきたからこそ、そうそう簡単に方向転換ができないでしょ、そんな軽くないでしょ、ということです。
だから年を取ってから、大人になってから、何かを成し遂げるとか、何か新しいことを取り入れるというのは、やっぱり凄く難しいことなんですよ。これまでの積み重ねが逆に足を引っ張るわけです。
そういう状態でも何か成し遂げていきたい、新しい境地に辿り着きたいと思うときは、どうやったらそれができるか、どうやるべきか、ということを真剣に頭を使って考える必要があります。そこで必要なのが外部の力なんですね。
人間は強制力がないと動けない
人間というのは、外部からの強制力みたいなものが無いとなかなか動けないんですよ。これは本能的なもので、無駄な労力はやらないように人間というのはインプットされているので、自分が非常にやりたいか、やらざるを得ないこと以外は、やらなくていいかなと思っちゃうわけですね。
つまり提出期限のない宿題はやらないとか、締切の無いものは書かないというのと一緒で、今すぐやらなくていいことは、当然後回しになっちゃうわけですよ。
そんなに強制力って必要なのか思われるかもしれませんけど、普段仕事をしているというのは、働かないとお給料がもらえないとか、働かないと上司に怒られるとか、家族を養うことができないとかがあるわけです。
こういう本人が強制力と思っていないかもしれませんけど、「何かこれをしないと、何か悪いことが起きる」ということは、必ずセットになっているものなんですね。だから行動できるわけです。
約束を破ったら相手との人間関係が悪くなる、いま起きないと遅刻してしまう、何でもそうなんですよ。例えば自分が誰にも求められてないのに、英語を使えるようになりたい、収入を上げたい、スリムなボディーになりたいとか、そういう目的を自分の中で作ったとします。
その為に強制力というのは、基本存在しないので、それを実現するのは非常に難しいわけです。現実的には後回しになったり、「やろうと思っていたけどできなかった、今年こそは」みたいな話になりやすいわけですよ。
だからこれから何か成し遂げたい、これまでできなかったことをしたいと思うのであれば、それを頑張ってやろうとか、分割してこういうステップでやろうとか、こういう所に習いに行こうとか思うのではなくて、それをやらざるを得ない状態をどうやって作るか、ということをセットで考えるのが非常に重要です。
まあ習いに行くというのは、ある種、外部的な力を借りているという意味でもあるんですね。例えばスポーツジムで、いつ行ってもいいよ、お金もかからないよ、好きなときに好きなだけやりなさい、と言われたとして、行ける人がどれだけいるかという話ですね。まあほとんどいないと思います。最初は頑張って行ったとしても段々忙しくなったり、時間が無かったり、しんどくなったり、他の用事が入ったりして、行かなくなると思います。
しかしここで高いお金を払って、コースを選択したり、パーソナルトレーナーをつけて、次はいついつまでに絶対来てくださいね、これまでにこういうことをやっといてくださいね、みたいな宿題とかを付けられてやると、突然できるようになるわけですよ。
どうしてかというと、それをやらないとその相手のトレーナーに注意されるとか、がっかりされるとか、そういう外部要因が働いたり、あとは高いお金を払っているんだから、行動しないと損だという気持ちも働くわけです。
よくネットで調べたらわかるという情報は多いと思うんですけど、このタダで手に入る情報で行動できる人がほとんど居ないのも同じような理由なんですね。全く同じ情報であったとしてもタダで仕入れた人は行動できないけど、ちゃんと1000円でも2000円でもお金を払って買った人は、その払ったものを取り戻そうと多少なりとも行動して結果が出せる。
多くの人はコストを使わないことに意識を割くんですけど、本当の目的、大目的というのは、コストを下げることではなくて、自分が達成したいことを成し遂げることの方ですよね。それならコストとかの優先順位の低いことを重視して、本当の目的を達成できないというのは、非常に愚かなことなんですよ。
私はいつも言いますけど、一番大事な大目的、これを達成する為にはそれ以外のものは当然、犠牲になるわけです。それを犠牲にする覚悟がなければ、いつまでも夢を見ていることしかできないわけです。
何かを得る為には、何かを犠牲にする必要がある
前に進むということは、可能性の取捨選択です。子供の頃というのは、スポーツ選手になりたい、飛行機のパイロットになりたい、芸能人になりたい、銀行員になりたい、何でも言えます。
なぜ何でも言えるかというと、そのどれもが選択できる状態にあるからです。ところが大人になって、どれか一つを選択すると、それ以外の選択肢は当然消えていくわけです。
銀行員になった後に飛行機のパイロットには普通なれないですよね。真面目に自分の道をちゃんとやっていこうと思うと、それ以外のことはやっていく暇は当然なくなるわけです。
つまり大人になる、前に進むということは、可能性を捨てるということなんですよ。大人は可能性を捨てて、前に進むわけです。
アレもやりたいコレもやりたい、自分にはこんな夢がある。勿論、そういうものは大事ではあります。結局その夢を捨てきれなくて、可能性を捨てきれなくて、前に進まない。どの道も進んでいけないというのは、モラトリアム、いつまでも子供でいたいピーターパン症候群的なものなんですね。
何かを手に入れる為には、もう片方の何かを捨てないといけないわけです。それがリソースの交換であったりするわけですけど、可能性もリソースなんですよね。だから可能性も交換しないといけないわけです。
自分が前に進む為には何かを捨てる。何かをする為には何かがやれなくなる。どこかに行けば、その違う場所には行けなくなる。誰かに会っている間は、別の人には会えない。何かをすればお金がかかる、時間がかかる。全部何かをする為には何かを捨てないといけないんですよね。
だから何かをやりたい、今年こういったことをやりたい、という風な夢とか目標を立てるときに是非ですね、その為には自分は何を犠牲にすることができるのか、そこもしっかり考えて欲しいと思います。
これを考えないから、アレも欲しいコレも欲しいソレも欲しい、じゃあ支払いはどうするの?いや考えてません、というようなお話と同じことになっちゃうんですね。だからそれは口先の夢で終わってしまうわけです。
今年は仕事を頑張るとか、ダイエットを頑張るというのであれば、それを達成する為に何と何を消費するのか。どういった可能性を手に入れる為にどういった可能性を捨てるのか、リソースを捨てるのか。そういったことも一緒に考えないと、目標は達成できないと思います。
だいぶお正月に聞くには重いというか、刺々しいというか、雰囲気の悪いように聞こえる内容になってしまいましたね。しかし砂糖菓子のように甘い言葉とか期待を持てる言葉ばかり掛けて、一年経って二年経って三年経って、結局何も進んでいませんというよりは良いですよね。
多少はキツい言葉というか、私の言葉をどう取るかはその人次第ですけど、そういった耳の痛いものを受け取って前に進んでもらった方が、その人の人生を良くする本当の大目的には合致していると私は思っています。
それではまた今年一年頑張っていきましょう。ありがとうございました。
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