情報を読み解けると人生は変わる!?仕事も人間関係もうまくいくようになる方法


どうもこんにちは G です。
今回は「情報の方向性をつかもう」ということについてお話したいと思います。

発信される情報には目的がある

今はインターネット、テレビとか雑誌新聞、色々な形で情報が嫌でも入ってきますよね。

人間がリアルに自分が見たり聞いたり体験できることって意外と少ないので、多くはそういうよそから入ってくる情報で、ものを考えたり、知ったりするじゃないですか。

ところが、特に無料の情報、インターネット上にある情報とか、ニュースとか宣伝で入ってくる情報というのは、発信者の目的があるんですよね。

例えば広告であれば、いろんな情報を与えてるように見せても、最終的には自分の商品は良い商品だから買ってねっていうことが目的ですよね。

ニュースは、一見出来事をただ伝えてるようにも見えますけれど、新聞社の方向性とか、どっち寄りとかそういう風なキナ臭い話で、情報操作じゃないですけど言い方とか伝え方が違ったりしますよね。

ネットの情報がもたらすもの

インターネットなんか特にそういうのがすごく強くて、偏向報道と言われるものが凄く強いじゃないですか。

もう書き手の意思とか書き手の持って行きたい方向にすごく情報が寄っているんですよね。

以前にお話した、しいたけは干し椎茸にしたらカロリーが物凄く高くなるみたいな、本人の勘違いなのかそれとも偏向報道なのかわからない話であったりするわけです。

先日も見たのが、小さい男の子が行方不明になったときに、ボランティアの老人がそれを見つけて、その少年と老人を警察が囲むように保護して連れて行った様子を見て、「警察は老人の手柄を奪おうとしている。物凄くひどい扱いだ」みたいな記事がネットに上がったりもしたんですよ。

実際にその写真を見ると、警察官が手を伸ばして、その老人の首根っこを掴んでいるような写真なんですね。ひどい話だっていう風に、そこでワーッといろんな人が書き込みしたんですけど、その元となった動画を見たら、そんなこと全然ないんですね。

マスコミがすごい寄ってきたりバシャバシャ写真撮ったりするから、警察官たちが手を伸ばしてその人たちの顔とかが映らないように配慮して歩いている動画だったんですね。

ちょうどアングル的にそのかざしている手が、その老人の首根っこぐらいに重なってる瞬間をキャプチャして記事にされていたんです。

これは一つの例ですけど、こんなのは毎日起きてる事ですよね。

つまりネットにあるものを何も考えずに真実だと思って受け取ってしまうと、もうどこに連れて行かれるか分からないぐらいになってしまうわけですよ。

その情報っていうのは、全て発信者が何か言いたいとか、仕向けたい情報の方向性っていうのがあって、その方向性に流されるっていうことなんですね。

無意識に流されてしまわない為に、まずその情報を読んだ時に「へーそうなんだ」とか「ひどいなあ」とか感情的ジャッジをして終わりじゃなくて、「この情報は何が言いたいんだろう」とか「どういう風な結論を自分に植えつけたいんだろう」っていう風に考えることが大事なんですよね。

そういう風に情報に方向性があって、あなたのところに届く情報はみんな方向性がありますっていう風に言うと、「世の中って恐ろしい。いやだな、なくなればいいのに」ってまた極端に思考停止する人がいるんですよ。

でもそれって、本当になくなっちゃうとほとんどどうでもいい情報になるんですよね。

情報は素材でしかない

例えばドヤ顔で世の中の真理を語る奴っていうのは、ただのバカにしかならないわけですよ。

つまり情報に目的とか着地点も何もなくて、例えば宇宙は広大だよねとか、人はいつか死ぬよねって言っても、「それで?」って話じゃないですか。

何の為に宇宙は広大だって言ったのか、人はいつか死ぬということから何を学ぶべきなのかとか、情報っていうのはただの素材でしかなくて、それを自分の脳に与えることで、脳が何かをしないのならば意味がないんですよ。

何かをするっていうことは、アウトプットの方向性がいるっていう事なんですよね。アウトプットの方向性がなければ、何も物は考えられないんですよ。

例えば何か困ったことはないですかって言われたら、何か考え始めるじゃないですか。でも何も言われなくてニコニコされてたら何も考えないですよね。こっちもニコニコするぐらいですよね。

という風に何かクエスチョンが投げられるからこそ、人はアンサーを出せるわけです。

どっちの方向性に答えを出さないといけないのかっていうのがなければ、何も出せないわけなんですよね。

その為には、自分がインプットアウトプットするものも当然ですけれど、よその人がアウトプットしている情報、それをどういう方向性なのかを考えて理解するっていうのは、そういう情報の取捨選択とか、自分がその情報を再利用する時にすごく役立つやり方なんですよ。

情報が増えてから無知な人が増えた

ただ今のように情報量があまりにも増えすぎて、もう朝起きてから夜寝るまで、ほとんどスマートフォン等を通して情報が無駄に流れ込み続けるじゃないですか。

本来、こんなにもの情報って人間はいらないんですよね。

それだけの情報があるからこそ変な話になって、情報量がここ10年ぐらいで凄く増えましたけど、増えたことで、ものを知らない人が増えたんですよ。

自分の興味あるジャンルに関してすごく知ってたりするんですけど、興味のないジャンルに対して何も知らない人がすごい増えたんですよね。

どういうことかというと、昔は新聞とかテレビとか、そもそもの情報量が少なかったから、満遍なくそれを見聞きしてたんですよ。

そうすると、自分の興味ない情報だって受け取っちゃうじゃないですか。そのうちにその中に興味を持ったりとか、興味はないけれど知っているっていう風に身についていったんですね。

でも今はあまりにも情報がたくさんあって、自分の興味ある情報だけを受け取ることもできるんですね。すると自分の興味のある情報は受け取りやすいから、方向性とかを考えずにじゃんじゃん受け取ってしまうわけです。

そればっかり溜まっていくから、自分の頭の中でもそういう方向性っていうのが勝手に築きあげられていっちゃうんですよ。

自分が正しい。だってネットにも世の中もみんなそういう風に言っている。自分の意見は正しいに違いないって刷り込まれていくんですね。

だから人の情報をそのまま受け取るっていうことは、ある意味自分の方向性も決められてしまうということなので、言ってしまえばゆるい洗脳を受け続けてるってことになるんですよね。

しかもそのゆるい洗脳を自ら望んで受けている状態になるわけです。

それが積もり積もって、それが正しいとそういう方向性にしかものを考えられない。そして自分の興味ないジャンルに関しては、ちっとも知らない人間ができあがってしまうわけです。

情報を読み解けると人生はうまくいく

だけど例えば、人とのコミュニケーションとか会話とか、それこそビジネスとかアイデアとか、何かを自分以外のものとやりとりするっていうのは、結局引き出しが多いほうが勝つんですよね。

その引き出しの多さというのが、自分の得意なジャンルの中だけでたくさん知ってるっていうことじゃないんですよ。

いろんなジャンル、いろんな価値観、いろんな人の考え方、いろんな方向性を全部包括して自分の中にあるから、引き出しが多い人になるわけですね。

だから人間としての器というか、人間として大きな人間になりたければ、一方向の情報にばかりとらわれちゃだめだよって話なんです。

だから今日から、何かネット、スマホでニュースを見たときとか、テレビを見たとき、何か情報に触れたときは、

結局この情報って何をさせたいんだろう、何を言いたいんだろうっていう結論を相手が与えてくれるんじゃなくて、自分がもっと真意の部分を読み解くように頭を使って欲しいなと思います。

それをちゃんとやれば、今度は人間関係、例えば上司が本当に求めていることは何なのかとか、奥さんがこう言うけれど、奥さんが本当にして欲しいことは何かっていうのが分かるようになるので、人間関係も仕事も全部生きやすくなると思います。

非常に重要なことなので、ぜひやって欲しいと思います。今回は以上となります。ありがとうございました。

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