今回は、否定されるとイライラしてしまう人に対して、感情をコントロールする方法について話をしたいと思います。
まあ人間ですから、人に否定されたら腹は立ちますよね。馬鹿にされたときは「ムカつく!」と思ってしまうかもしれません。
しかし、そこで怒ってはいけないんですね。
なぜなら人に馬鹿にされて腹が立つのは、自分自身が馬鹿であると認めているようなものだからです。
目次
否定されるとイライラする理由
怒りの原因は「価値観」である
世の中には色々な人がいるじゃないですか。
それぞれ人には何が正しい、何が正しくない、こういう風にすべきだ、すべきでない、という価値観とか正義があるわけですよね。
結局、馬鹿にされて腹が立つのは、自分の価値観が否定されているからなんですよ。
自分が正しいと思ってる価値観を頭から否定されてる(馬鹿にされてる)から、腹が立つわけです。
ところが相手は相手なりに正しいと思っている価値観があるんですね。
その相手の価値観にとって自分の価値観は違うから、相手は否定してくるんですね。
だから「馬鹿にする」ということは、失礼でよくない行為なんですけど、やってること自体は相手の価値観の否定なんですよ。
ただ「自分の価値観を否定された = 腹が立つ」というのは、自分も相手の価値観を認めてないということなんですよ。
つまり自分も相手の価値観を否定しているということなんですね。
怒りは「二次感情」である
相手の価値観が自分の価値観とは違うから、相手はそのように思ったんだなぁとか、他の人から見たら自分がやってることは馬鹿なことのように思うんだな、へーすごいな珍しいな、面白いなっていう風に思えたら、そんなに腹は立たないんですよね。
つまり自分の価値観を否定された瞬間にカッとなってしまうのは、もう相手の価値観の多様性を認められないくらい自分自身の価値観に凝り固まっている、自分自身の視野が狭いっていうことでもあるんですよ。
だから子供ほどカッとなるんですね。
大人になると、「人は人、自分は自分」とか「そういう考え方の人もいるんだ」とか「面白いなぁ。逆に勉強になったわ」っていう風に思えるから、自分が馬鹿にされたり価値観が否定されたりしても、「怒り」まではいかないんですよ。
そもそも怒りというのは二次感情なんですね。
怒りそのものが突然発生してるわけではなく、その怒りを呼び起こしてる一次感情があるはずなんですよ。
一次感情として「自分自身の価値観を認めて欲しい」という気持ちがあるんですよね。
それを否定されたから「なんで俺の価値観を否定するんだよ。腹が立つ」っていう風にブチ切れちゃうわけなんですよ。
怒りを爆発させる必要はない(犬と人間は喧嘩しない)
一見、人に馬鹿にされて腹が立つのは、当然なんですけれど、そこで腹を立ててしまうと、相手と同じ低い次元に落ちてしまうことは知っておくべきなんですよね。
喧嘩とか争い事というのは、同じ次元でしか起きないんですよ。
例えば、犬と人間は本気で喧嘩しないですよね。
犬が吠えてきたからといって、人間はそれに対して、「危ないなー」とか「なんで吠えてるんだろう」とって思うことはあったとしても、
「吠えてきやがって、ムカつく。許せねぇ、俺も吠え返してやる」とは思わないじゃないですか。
それは相手を同じ次元だと認めてないからです。「所詮、犬畜生がやることだから」っていう視座の高さがあるからなんですよね。
だけどこれが人間同士になるとできないんですよ。
例えば、相手がくだらない事を言ってきたときとします。まあ「くだらない」というのも自分が勝手に思ってるだけなんですけど。
なぜそれを今言われたんだろうとか、相手にそれを言わせてしまった原因が自分にはないだろうかとか、何か事情があったんだろうか、という風に一つ上の高みから見たら色々考えられるはずなんですよね。
そしたら、いちいちそんなことに腹は立たないんですよ。
だけど、相手と同じ次元に立っちゃうと、バカって言われたら「何を〜」って腹が立つんですよね。
だから基本的に「怒る」という行為は次元の低い行為なんですよ。
聖書だろうと、仏教だろうと怒りの感情というのは、なんか地獄のものというか、良くないもの、大罪の一つに数えられるようなものじゃないですか。
怒りというのは、人間としては自然な感情ではあるけれど、決してそれをそのままにしてはいけない感情の一つでもあるんですね。
日常生活において出てくる怒りは、いくつかあると思うんですけど、そのうちの人間関係で出てくる怒りというのは、自分が認めてもらえない怒りとか、自分が低く見られてるんじゃないかと思う怒り、正に「バカにされている」と感じてしまう怒りだったりするんですよ。
だからその時に腹を立てるのではなく、「自分とは違う価値観から見たら、馬鹿にされるようなことだったんだ、面白いなあ」ぐらいに思って、人間の価値観の多様性を認めるべきなんですね。
そしたらいちいち馬鹿にされたからって怒る必要はなくなるんですよ。
「ヘラヘラしましょう」という意味ではない
これは自尊心と自己愛というのは違うんですけれど、人間は自尊心は持たなきゃいけないんですよね。
でも自己愛は強いとナルシズムに繋がるんですよ。
馬鹿にされてヘラヘラ笑ってろっていう話ではないんですね。これは自尊心もないっていうことになっちゃうんです。
でも自己愛が肥大すると、自分が一番正しい、自分を傷つけないで欲しい、自分を守って欲しいみたいな本当に幼児のような思考になってしまうんですね。
それを裏返すと自分を傷つける者、自分を否定する者が全部許せないっていう発想になっちゃうんですよ。
だから自己愛のパラメータを上げてしまうというか、自己愛が肥大化してしまうのは良くないんですよね。
自己愛を肥大化させない
自尊心は持つべきですが、それは自分の中でちゃんと確立していればいいので、人に何か言われたからって必死にそれを打ち消したり、認めなかったり、争ったりする必要はないんですよ。
「あ、そういう風に思う人もいるんだね。勉強になりました」ぐらいで済むはずなんです。
でも自尊心と自己愛を取り違えたまま、自己愛を肥大化させて「子供大人」のように育ってしまった人間は、自分が否定されると激怒してしまうんですね。
そうすると、例えばニュースにあるような、なんか注意をされたから腹が立って殴って殺したとか、なんか高速道路で煽られたから煽り返して、挙句に殺してしまったみたいになるわけです。
自分が危険運転してたら、それは相手は注意してくるじゃないですか。煽られたら、それが本当に煽られてるのかどうか、あれ何なんだろうって思えばいい話じゃないですか。
なのに自己愛が強すぎるから、「この俺を煽るなんて何様だ。許せない殺してやる」みたいな発想になってしまうから、そういうトラブルが起きるんですよね。
それはすごい極端な例としても、やはり自己愛が育ってる人というのは、人間関係のどこかでおかしいことをやらかすんですよ。
それは友達関係であったり、会社の中の人間関係であったり、男女間であったりするわけです。
否定されてもイライラしない自分になるには
自分のことを分かって欲しいと思わない
ちょうど今、新社会人が働き始める時期だったり、職場が変わったりする時期なので、まさにそういう人は、もう一度自分を省みて欲しいです。
子供の頃、学生の頃、家庭の中、そういったクローズドで否応なくその空間の中にいなきゃいけない環境というのは、少々コミュニケーション下手でもみんな付き合ってくれんですよ。
だけど「社会」というもっと大きな枠に出た時は、嫌な奴なんて付き合わなくていいんですよね。適当に流しておけばいいわけです。
本来は、嫌な奴の言うことを聞く必要もないんですよ。
だから相手に自分のことを分かって欲しい、理解して欲しい、自分の事を聞いて欲しいっていう甘えを押し付けるのは、期待するのは間違ってるんですよね、
そういう風なことをしてしまうと、相手は内心「何言ってんの大人のくせに、私はお前のママじゃねーぞ」っていう風に思っちゃうわけです。
価値観の多様性を認める
だけど家庭の中とか友達関係のような守られて当たり前の精神状態から抜け出てない人間は、社会の人間が自分を受け入れてくれない、守ってくれない、認めてくれないと、そこに怒りすら感じてしまうんですよね。
で、社会的に不適合者になって、最終的には引きこもりになって、犯罪者になったり、もしくはすごく生きづらくなって自殺したりっていう極端な方に進みやすいんですよ。
だから、そういったことにならない為のまず第一歩として、価値観の多様性を認めることが、すごく大事なわけです。
その価値観の多様性を自分が認めているかどうか、という指針の一つが、人にバカにされた時に自分が腹が立つか立たないかでもあるんですね。
争いは同じ次元でしか発生しない
人にバカにされて「あ、この人はなんでこんなこと言うんだろう」とか「そういう価値観もあるんだ」と思えずに、カッとなってしまう人間は、精神的に子供で人の価値観も認めてない相手と同じ次元の低いレベルだっていうことを忘れないで欲しいんですね。
そこでカッとなるようであれば、「いや、待て。争いは同じ次元でしか発生しないんだから、馬鹿に馬鹿って言われてムカつくなら俺も馬鹿になっちゃう」と考えればいいんですね。
逆に相手はなぜそう言うのだろう、相手の価値観はどうなんだろう、自分の価値観との違いはどうなんだろう、一般的って言われる大多数の人はどうなんだろうっていう風に色々考察をすることで、自分の精神性を高めていく為の他山の石としてくれればいいんじゃないのかなと思います。
それでは今回は以上となります。ありがとうございました。
内容は理屈的にはなるほどと思いましたし良かったと思います。
ただ、本当にバカにされることで病んでしまうほどに困っている方々の支えや解決になるのかな?と
もう少し心ある表現が出来ればいいな。と。
思いました。
吉村さん
コメント&ご指摘ありがとうございます。Gです。
記事の最初に書いてますように、これは「人にバカにされて腹が立つ人」向けの内容ですので、
「バカにされることで病んでしまうほどに困っている方々」向けの表現ではお話してないですね。
人にバカにされて病んでしまうぐらい困っている人(まぁ多かれ少なかれ、みんなそうだとは思いますが)に向けてお話するなら、
『人をバカにしてくるような相手とは、物理的に距離を置きましょう』ってことになると思います。
「腹が立つ人」に言いたいのは、「噛み付いてくる犬っころに本気で腹を立てるのはみっともないよ」ということ、
「傷付いてしまう人」に言いたいのは、「何一つ我慢する必要はないから、その相手から距離を置きましょう」ということです。
私も仕事柄、職場でいじめられている人の相談に乗ることもあるのですが、傷付いている人に「自分で解決しなさい」というのは基本無理だと思っています。
その場合は、
・自分を傷付けてくる相手とは距離を置く
・解決には他人の力を借りる
がポイントになるかと思います。
ということで、これを読んでいる 病むぐらい悩んでいる人 は「自分でなんとかしなきゃ」とは考えずに、頼りになる人に相談してくださいね。
はじめてコメントさせていただきます。
記事を拝見し大変参考になりました。
職場内で管理・マネジメントする立場にいますが
同じ職種でありながらこれほど価値観が違うのか
それにも増して他の人の価値観を否定して不毛な
争いばかりで悩んでいますが、まずは自分が同じ
土俵に立たず、できることを考えながらじっくり
取り組んでいきたいと思います。
他の記事も参考にさせていただきます。
有難うございました。
コメントありがとうございます。Gです。
価値観の多様化なのか、昔に比べてマネジメントが難しくなりましたよね。
長寿化で社会に出ている人の年齢の幅が広くなり、時代の進化も早く、様々な価値観を持つ人が同じ会社に集うようになったためか、「こんなこと常識だろう」が通じなくなりましたね。
しかもその風潮はこれからますます強くなるという・・・
大変な時代になりますが、お互い頑張っていきましょう!
まさに今怒りを感じ鎮める方法を考えてるうちに「相手と同じレベルに落ちるな」とかそんな言葉を聞いたことがあり、検索するうちにこちらの記事にたどり着きました。
私は厳格に育ったこともあり、自己愛・正義感責任感が強く完璧主義であり神経質です。
自分の価値観が凝り固まっており、頑固でもあります。厄介な人格です。
記事の内容も頭では理解しているのですが、行動にするとなると難しいです。
どうでもいいことは覚えていて思い出し怒りとかしてしまうのに、そういう瞬間にこの記事のようなことは思い出せない自分が情けないです。
感情移入しやすく、客観的に考えるのも下手なので「一つ上の高みから見て考える」手法はぜひ身に着けたいです。
「争いは同じ次元でしか発生しない」ということを頭に入れて頑張ってみようと思います。