自分の頭で考えろ!「この人バカだな」と思われない方法


どうもこんにちはGです。
今回は入ってくる情報に対して自分の頭で考えろというお話をしたいと思います。

情報というのは、今ではインターネットからテレビから雑誌から、もう色々な媒体から無尽蔵に流れ込んできますよね。

その中のメインがスマートフォンを通しての情報だと思いますが、決して情報は増えても質は上がっていないんですよ。

もちろん、過去の新聞や雑誌、テレビの情報の質が高いのかと言われると、そんな高いわけではありません。

ただ発信者の身元が明らかだとか、ちゃんと下調べの上で書かれているとか、情報発信者が何らかの形で一角の人が多かったわけです。

ところが今はまとめブログとか、TwitterのようなSNSとか、どこの誰とも知らない個人が自分の思い込みを呟いたようなものが、それっぽくまとめられて、本当のことかのように広まっている情報がすごく多いんですよ。

しかもそういう「○○する方法」とか「○○とは?」みたいにまとめられたような、よく言われるトレンドブログとか時事ネタブログとかは、広告収入を得られる媒体になっているので、とりあえず中身の整合性はともかく作られてしまうんですね。

ネットから拾った知識を繋ぎ合わて作ったようないい加減な媒体がすごく多くて、しかもそれがインターネットでは上位表示されているんですね。

だからインターネットで言ってたよとか、インターネットで伝わってきたよっていう情報は、Wikipediaも含めて、街の噂話程度だと思っておいた方がいいんですよ。

せめてまだ価値があるのが、ちゃんとしたニュースサイトとか、どこかの大学の教授が喋ってる内容だとか、著名人が自分の署名を載せて書いてる言葉とかが、辛うじて最低限のスタートラインとして読めるレベルなんですね。

一般的にヒョイヒョイと検索して入ってくる情報は、前提として疑いの目で本当かなと思いながら見た方が良いわけです。

それの為に必要なことは、やはり自分の頭を使うことなんですね。

ネットを鵜呑みにした結果

今の10代の人は分からないですけど、昔の人というのは、ちゃんとした媒体から自分の前に現れる情報というのは、基本正しいという思い込みがあるんですね。

だからそういう風にまとめられた情報が、本とかの形でまとまっているほど、無条件に信じてしまうんですよ。

人間はものを疑うとか考えるということには非常に精神力を使うので、できればやりたくないんですよね。

やりたくないから、権威とかブランドを無条件に信じてしまうわけですけど、それと同じでネットに書いてあることも無条件に信じたいんですね。

生物としてそこに無駄な力を使いたくないから、信じたいものなんですよ。

だからそれ自体がいけないことだとか、無条件に信じるのは馬鹿だとかいう話ではないのですが、そこで無条件で信じてしまうと、本当の真実とは異なることだったり、一部のケースでしか使えない情報だったりすることが多いんですね。

さらに言えば、そこを自分の頭で考えて、一歩前に行くことで、他の人よりも有利な立場になったりとか、他の人の知らない知識を手に入れたりとか、もしくはそれで自分の独自のサービスとかビジネスを始めたりまでできるんですよ。

その為にも言われたことを何も考えずに信じるようなスタンスは駄目なんですね。

こういうのは実感すると理解しやすいので、ぜひ自分で「ネットに書いてあったけど事実は違った」みたいなことを探して欲しいと思います。

私はそういうことがよくあって、昔、初めて台湾に行くときに、いくらお金を持っていけば良いのかネットで検索したんですね。

すると現地のATMで、アメックスとかのクレジットカードでお金を下ろせるので、現金なんてそんなに持っていかなくて大丈夫って書いてあったんですよ。

複数の旅行ブログとか台湾の情報を調べたけど、全部そういう風に書いてあったので、じゃあ現金はほどほどで、クレカ持っていけばいいのかって行ったんですけど、まあ対応してない(笑)。

今にして思えば、前もって海外で使う為の手続きとかが必要だったのかもしれません。当然、何も手続きをしなければ、不審なアクセスとか不審な利用っぽくなりますからね。

しかも海外の ATM は現地の言葉なので、日本風に使おうとしても操作が分かりにくいんですね。

結局、同行した人達みんなお金が下ろせなくて、現地に数年間住んでる人にガイドしてもらったんですけど、その人でも下ろせなくて、お金がなくて困るみたいなことがあったんですね。

これはネットを鵜呑みにした話ですよね。

頭を使えば嘘は見抜ける

こういうのはいくらでもあるのですが、スパゲッティを食べるマナーで、スプーンとフォークを使って、スプーンの上でフォークをくるくるって回してから食べるみたいなのがあったんですね。

ところがここ5年ぐらいかな、ネットで本場の人はやらないみたいな、日本人の間違ったマナーとしてネットに広まり始めたんですね。

特に日本人は、実はそれ違います系の情報は大好きなので、ネット上に広まったんですよね。

マナーとしては正しくないとか、あんなのは子供ぐらいだとか、イタリアの人はそんなのしないんです、と断言しているブログが今はほとんどなんですよ。

でもこの前にイタリアが紹介されているテレビを見てたら、現地のオッサンがスプーンを使って食べてるんですよ。

どういうことだろうと思って調べたんですけど、日本のブログでは、イタリア人はスプーンを使わないって書いてあるんですよ。

そういう情報読んでたら、大体ソースが Wikipedia だったり他の人のブログだったりするんですね。

お前イタリア行ったことないだろみたいな人間が、ドヤ顔で「イタリア人は〜」と語っているんですね。

でもこういう情報は本当に多いんですよ。よく知らないけどネットの聞きかじりを断言する奴ら。

さらに詳しく調べてみると、向こうの国でもスプーンを使うマナーについて討論がされていたんですね。

なんとなくわかったのが、元々のイタリア人は確かにあまり使わないというか、マナー的にはよろしくないと思ってるっぽいんですよ。

ところが向こうはイタリア系アメリカ人とか、イギリス系イタリア人とか西洋系は結構行き来してるから混ざってるじゃないですか。

それでイギリス系が入ってるイタリア人は、スプーンを使って食べるらしいんですよ。

だから私がテレビで見たのは、イギリス系イタリア人だったみたいで、だからスプーンを使ってパスタを食べていたんですね。

という風に自分が本当かなって思って、それが違った場合、その違和感に対して自分の頭を使って食いついていけば、意外と世の中は嘘ばっかりというか、賢くない人間が大きな声で叫んだことが本当のように流布しているんですね。

きちんと調べると、意外とそうじゃないものは多いんだなって感じるんですよ。

でもそういう疑問に思うことなく、「ネットに書いてあったもん」みたいに考えてしまうと凄く恐ろしいんですね。

正直、若い人もそういう人が多いと思うんですよ。

私が子供の頃に「だって先生が言ってたもん」とか言う小学生がいましたが、それと一緒で「だってネットに書いてあったもん」とか「だってツイッターで言ってたもん」みたいなことが多いんですね。

例えば天皇が引退して、平成が終わるみたいなニュースがあったときに、「【速報】平成終了」みたいなに書きまくっていた若い子もいて、タイムラインとかで拡散されて流れてくるんですよね。

なんか明日終わるかの如く情報が、どんどん伝言ゲームになって流れてるんですよ。

そんなわけねーだろと。

でも私のところに若い子から「平成終わったんだってね」みたいな連絡が来て、何言ってんだ、こいつは馬鹿かと思ったんですけど、彼ら彼女らにしたらそれが真実なんですよね。

だから人間が一緒に価値観を共有したり仲良くなったり話をする為には、そもそもの文化的背景とか、知能レベルでの前提条件がある程度は共通している必要があるわけですよ。

それがあまりにも違いすぎたら話にならないわけですよね。

「最近の若者は」が通用しなくなる時代

当然、日本というのは、単一の民族のではないけれど、あまり混じり合ってはない国なので、島国だから以心伝心とかが結構許された国なんですよね。

ところが海外は当然戦争や移民だ、侵略だで混ざり合ってるから、前提が違うからこそ契約社会になったわけじゃないですか。

ルールとして明文化して、それを破ったら罰則もルール化することで、色々な違う前提の人間がやり取りできるになったわけですよね。

でもインターネットという媒体で、色々な人たちと直接やり取りするようになったら、それは今までのようなこれが当たり前でしょっていう日本感覚は失われてると思うんですよ。

それよりはどっちかと言うと、全然立場とか考え方の違う人たちが同時に何かをしなきゃいけない移民の感覚というか、外国の感覚に近いと思うんですね。

いま人間の寿命はどんどん伸びてるじゃないですか。

やっぱり60,70歳の人の常識と20歳の子の常識は、40年くらい違うわけなので、言葉すら違っても全然おかしくないですよね。

こういった人達が、一緒に生きていかないといけない社会がもう来ているわけですよ。

だからそのときに自分の頭で考えずに、世の中はこうだからって思ってしまうのはすごく危険だし、そういうのを思い込んでる人達と付き合っていくのはとても難しいんですよね。

常識が違いすぎるから。それを一方的に排斥してもしょうがじゃないですか。

アイツらはダメな人間だ、馬鹿だから、今どきの若いやつはと言ってしまってもダメなんですよ。一緒に暮らしていかないといけない時間が長くなりますからね。

昔は50,60歳で世の中引退してたわけなので、「若い人は」と文句を言いながら、年寄り同士つるんで死んでいけばよかったわけですよ。

でも今はそういうのが100歳まであるわけだから、そうやって生きていきながらどんどん自分の世界を狭めても辛いだけなんですよね。

だから広げていかないといけない、かと言って一方的に相手に合わせるようなことをしてもしょうがない。

自分だけが正しいわけじゃないし、相手だけが正しいわけじゃない、凄く愚かな人も含めて色々な人がいる。

その中をうまく折り合いをつけてやっていく為には、自分が頭を使って、そういう人もいるんだとか、そういう人たちはこういう前提だからこういう考え方をするんだとかを考えてみるんですね。

だから逆にこの人たちに自分の考えを押し付けるのではなくて、この人と上手く付き合っていくという大目的の上では、このように対応しようとか、その場その場の相手によって変わる判断が必要だと思うんですよ。

その為には本人が沢山の情報を持ってることも大事だし、自分の頭で考えるクセをつけてることが大事なんですよね。

だから今日の話のテーマである自分の頭で考えるというのは、間違った情報に踊らされないという第一歩だけじゃなくて、これからの時代、これからの社会で上手く生きていく為に必要な一歩でもあるわけです。

だから言われたことを「こうらしい」と思考停止するのではなくて、大変でもずっと回し続けていてほしいなと思います。

それでは今日は以上となります。ありがとうございました。

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