どうもこんにちはGです。
今回は自分の欲望を大事にしようというお話をしたいと思います。
目次
充実した人生を送るには
370円のタピオカを飲む為に4500円も使った理由
先日、若い人と買い物に行ったんですよ。その人がタピオカを久しぶりに飲みたいって言い出したんですね。
じゃあ今買い物に来てる場所の近くにあるか調べてみたら、一駅くらい離れた場所にあったんですよ。
まあ帰り道だし、タピオカを飲んで帰ろうと寄ってみたら、そこはタピオカのドリンクを販売しているんじゃなくて、タピオカの食材を扱ってる店だったんですね。
しまったなと思って、もう一回ちゃんと調べてみると、今度は電車じゃなかなか行けなくて、電車に20分乗って、そこから車で15分行った場所が最寄りだったんですよ。
そうなるとどうでしょう。
正直、私だと諦めちゃうんですよね。
また今度でいいやとか、そこまでして飲みたくもないしっていう風に思っちゃうんですよ。
でも若い人は、「今日はそれでも飲みたい気分です」って言ったので、じゃあ行くかと電車に20分ぐらい乗って、
その後タイムズのカーシェアリングで車を借りて、また15分ぐらい飛ばして一杯のタピオカを飲み行ったんですよね。
だからタピオカ一杯は370円だったんですけど、そこへ移動する交通費は4500円ぐらいかかってるんですよ(笑)。
でも私はここまでしてでも飲みたいっていう気持ちが凄い大事だと思って、その芽を摘まない為にじゃあ行こうっていう話にしたんですね。
だんだん欲を満たすことを諦めるようになる
人間というのは、何かをしたい、欲しい、こう思われたいみたいな欲というのがあるわけじゃないですか。
でもその欲というのは、当然叶えるためには、お金であったり時間であったり努力であったり、自分も何かのリソースを差し出さないといけないんですよね。
で、そのリソースを差し出すことが大変だということが分かってくるようになって、自分で働くようになってお金を使うのは大変なことなんだ、
時間がなくなってきて、無駄な時間なんか使ってられないっていう風になっていくと、そういったリソースの無駄遣いを避けるようになるから、
その結果、ちょっとしたことだと「もういいや諦めよう」っていう物分かりのいい考え方になりやすいわけですよ。
特に男性というのは、奥さんがいたり子供がいたり部下を持っていたり、
人のために何かをすることが非常に多い立場の生き物ですから、それは働いてる女性もそうですけど、
人のために何かをすることを繰り返してるうちに、どんどん人のために生きることが生活のベースになりやすいんですよね。
人のために生きるのは楽な選択肢
で、人のために生きるというのは、何か自分の身を犠牲にして、悪い状態、辛い状態のように思われがちなんですけど、実は人のために生きるのは楽なことなんですよ。
それは完全な思考停止状態で、あの人が欲しいって言ってるから仕事しなきゃいけないとか、
家族を食わせていくためには、会社は辞められないとか、家族が食べたいって言ってるから週末はどこどこに行こうという風に、
何をしなきゃいけないかを他人が決めてくれてるような状態なわけですよ。
それを実現するために自分が努力すればいいっていうのは、ある種結構簡単な話なんですよね。
そうじゃなくて何もない状態で、自分は何をしたいのか、何が欲しいのか。
今日の自分は何をするのかという全く白紙の状態で毎日ちゃんと考えて行動しろって言われたら、そっちの方がだんだん大変になってくるんですよ。
だから人のために生きるというのは、すごく正しい生き方をしているようで、楽な生き方を人間はしやすいんですよね。
当然、その中にも幸せはあるので、そこに満足していくんですよ。
やがて欲望がない人になってしまう
でもそれは自分自身の幸せとか、自分自身の欲望は置いてけぼりになってるんですよね。
例えば人生において、やることというのは「have to(しなきゃいけないこと)」と「want to(やりたいこと)」があるんですね。
でも実際の行動としてみれば、なんかよく似ていることなんですよ。
例えば仕事なら、自分がその仕事が好きで好きでやりたくて、ようやくその仕事につけた人がやっていたら、それは want to の仕事ですよね。
だけどお金を稼がなきゃ生活ができない、会社に行かなきゃいけない、怒られる、そこしか居場所がない。
それをしないと飯が食えない、仕方がない、やらなきゃいけない、というhave to もやっぱ仕事に行く行為そのものは一緒なわけですよ。
だから行為そのものが一緒だから、人間はその奥にある本質を見失うというか、そこを深く考えずに理解せずに行動してしまうんですよね。
だけど自分のやりたいこと(wan to)がどんどんなくなっていくと、自分の欲望そのものもどんどん小さくなるんですね。
もちろん、欲というのは、あれしたいなこれしたいな、綺麗な女の人とイチャイチャしたいなとか、たくさんお金が欲しいなとか思うかもしれないけど、
それは「思う」だけで欲望じゃないんですよね。
それを自分が実際に手に入れようとして動くところまで行かないと欲望じゃないわけですよ。
だから「それを手に入れる為に俺は動くぜ」という欲望をだんだん人は持たなくなっていくんですね。
それは無意識で、それを手に入れるための自分の努力と、それが手に入った状態を秤にかけて、
あー大変だな。じゃあやめておこうとか我慢しようっていう風にどんどんやらなくなっていくんですよね。
でもこれはすごく欲望が消えていくんですよ。
例えば年を取っていくと、「何食べる?」と聞かれて、何でもいいよ、脂っこくなければいいよとか、「何かしない?」って言われて、しんどいからほどほどでねとか、
「あなたは何を成し遂げたいですか?」と聞かれて、いやそんな大それたことは考えてませんよとか、そういう風になってしまうんですよね。
つまり自分の欲望というのは、行動習慣と同じで、やらなければやらないほど、衰えていくんですね。
求めなければ求めないほど、求めなくなってしまう。運動とかと一緒なんですよ。
充実した人生を送る方法
だから欲しがれば欲しがるほど、次も欲しくなるんですよ。
もちろん日本では「足るを知る」という言葉も大事だよっていう風に言われて、それはその通りなんですけど
でも与えられてるものに満足して、それ以上に向上心を持たないことではないんですよ。
だから自分の持っている日々の小さな欲望というのは、そこで押さえつけちゃだめで、そこをちょっと大事に考えて欲しいんですよね。
そうしないと自分自身が本当はどうしたいかも見えなくなっていくんですよ。
これは本当に大きな人生の岐路とかそういったスケールの大きい話じゃなくて、
例えば日曜日にどこかに行く予定が入った時に、自分は本当にそれに行きたいのか、行きたくないのかとか、
何を食べるっていう時に自分は本当は何を食べたいのとか、
そういったことを根拠をもって強い感情を持って言える人は結構少ないと思うんですよ。
自分は今本当にハンバーグが食べたくて、その理由としては、3日前にテレビで見たハンバーグが凄い旨そうで、
もうそれを思い出して食べたくて仕方がなかったんだ、だからハンバーグなんだって言える人ってあまりいないですよね。
まあ値段も手頃だし、ステーキはちょっと高いし、まあこの店ならこんなもんじゃないみたいになりやすいわけですよね。
でもそれでどんどん右肩下がりな人生になってしまうと今のこの人生100年時代と言われている時代に本当に自分が何をしたらいいのか、何を求めたらいいのかは見えなくなると思うんです。
だから自分自身を見失わないために、自分が何が欲しいのか、何をしたいのかっていう欲望を大事にしましょうと。
欲望を大事にするということは、自分のその欲望を小さいことから叶えていきましょうってことなんですよね。
そうしないと諦める癖がついてしまって、あれもいいや、これもいいや、それもいいやっていうなんか解脱した状態になって、
最後別に自分でなくてもいいやっていう風になってこの世から消えていくわけですよね。
それじゃあつまんないわけですよ。
もちろん、それも死ぬ前までには多分それは全部消えるんだと思うんですよ。それを残すと未練になるので。
だけど欲を捨てて早く死になさいとは違うわけですよね。
人生をちゃんと全て大事に充実して生き切って、最後に全ての欲を捨てるのはありだとしても、
やはりその最後の瞬間までは、欲を持って向上心を持って、行動もし続けて、結果、自分も人も幸せにし続ける必要があると思うんですよ。
そのための第一歩として、繰り返しになりますが、自分の小さな欲望から大事にして、それを叶えていきましょうっていう話でした。
では今回は以上となります。ありがとうございました。
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