どうもこんにちは G です。
今回は「もっと早く知りたかった」は意味がないということについてお話したいと思います。
私は結構、有料無料含めて、いろんな音声とかコンテンツで学びのものを配信してるんですけど、それに対して感想もよく頂くんですよ。
その感想の中に結構年配の方から「この素晴らしい話を20年前に知りたかった」とか「もっと若い頃に知っていたら人生は変わっていたのに」みたいな事を仰る方がいるんですね。
まあそれはそうかもしれないんですけど、あまり意味のないことなんですよ。
目次
後悔を消すには?
なぜ「もっと早く知りたかった」が意味ないのか
意味がないというのは、例えば20年前なら、いまさら20年前に戻れないわけだから、言ってもしょうがないっていう意味だけじゃなくて、
おそらく20年前にその人が、いま素晴らしいと思った話を聞いたとしても、どうせ当時はピンと来なかったはずなんですね。
やっぱり20年なら20年かけて、いろんなことを学んで、失敗も成功も繰り返して今の自分があるから、初めてその価値が分かったということじゃないですか。
でもやっぱり多くの人は、もっと若いうちにそれを知りたかったとか、若いうちにその境地にたどり着きたかったとかいう風に思ってしまうんですよね。
それは言ってしまえば「あの頃こうしていれば、あの時チャンスだったのに」っていう風に思ってるのと一緒なんですよね。
結局、そのチャンスはスルーしてしまう
20年前にその話を聞きたかったって言うと、すごい年配の人の意見に聞こえますけど、それだけじゃなくて「若いうちにああしておけば良かった」という話ならもっとたくさんの人が思ってると思うんですよ。
若いうちに、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったって後悔するんですよね。
で、もっと行動すべきだったという人は多いわけですけど、それも一緒の話で、そういう風に思えることすら、これまでの経験がベースになって思えてるわけですよね。
だから若い頃に今の情報とか今のやるべきチャンスとかをポンと与えられても、結局またスルーしてただけだと思うんですよ。
チャンスをチャンスだと思えない
どの人も若い頃に同じだけいい話も転がってたし、チャンスも与えられてたはずなんですよね。
だけど、それに当時の自分は気付かなかった、チャンスだと思えなかっただけなんです。
後で考えてみれば、あれはチャンスだった、あれはやるべきだったっていうのをだんだん後悔して、
つまり「 後悔 = 経験 = 学習」っていうことで、
それが積み重なっているからこそ、ものの価値は分かってるとも言えるんですね。
後悔は学びに変えればいい
本当は、後悔しても意味ないから、しなくていいんですけど、後悔は学習でもあるわけですよ。
その「後悔 = 学習」 というのは、すごくその人を成長させる学習でもあるんですね。
だから後悔はしてもいいんですよ。してもいいし、しなくてもいい。
でも後悔しちゃうなら、学びにした方がいいんですね。
そういう風に若いうちにやった、まあ若くなくてもいいんですけど、過去にやった色々なミスや失敗が価値になっている。
それが無かったら、そもそも理解できないということは分かっておいて欲しいです。
昔から「一億総アーティスト時代」とは言われていた
そこをすっ飛ばして、例えば「これからはシェアの時代だ。シェアビジネスにチャンスがある」ってそれだけ言われても、ほとんどの人は何の事か分からないんですよ。
それこそ十数年前に「これからは『一億総アーティスト時代』だ」と言われてましたけど、
ほとんどの人が何のことか分からなかったんですよね。「え、みんなバンドとかするの?そんなはずないだろ」みたいな。
そういう風に思ってしまって、分からないで普通に終わるんですよね。
周りが変わらないと理解できないのが普通
でもその後、ブログとかSNSでテキストの配信ができる、YouTubeとかを使えば動画の配信もできる、個人が自分の意見をどんどんインターネット上に吐き出すことができるようになったわけです。
つまりこれまでアーティストしかできなかった、自分の持っているものを世界に発信することができるようになったと。
こういう風に「一億総アーティスト」ということをジワジワと現実の日々の中で、目の当たりにして実感が湧いてきて、
初めて、あの時言われていた「一億総アーティスト時代」っていうのはこういうことだったのかと。その中にYouTuberも入っていたのか。
だからいち早くYouTubeとか、そういうものに手を付けた人間が良かったのかっていうのが、ようやく分かる話なんですよね。
天才じゃないなら、それは仕方ない
これはよっぽどの天才なら一億総アーティスト時代だよって言われて「ヤバい、発信しなきゃ!」って思ったかもしれないんですけど、
ほとんどの人は、実物実例を目の前に見せられてからでないと、動けないし理解もできないんですよね。
だからそこはもうしょうがないんですよ。
やっぱり普通の人間には、未来の先取りはほぼ無理なんですね。
だから、そこで「できないこと」を何とかしようと思って頑張っても意味がないんですよ。
そうじゃなくて、「これから」にフォーカスしていくしかないんです。
後悔を消す具体的な方法
「これから」にフォーカスする
これからにフォーカスする時に考えて欲しいこととして、
良い内容を聞いたら「20年前の自分が聞いたら良かった」って思うんじゃなくて、
一番若い今を起点として考えた時に、その良い内容を聞いたら、今の自分なら何をしていけるか。そこだけにフォーカスして考えて欲しいんですよ。
どのように料理して、どのように活用して、どんなチャンスを掴めるか、どんなビジネスを生み出せるかっていう「これから思考」ですよね。
学びは糧にすると考える
「いい話を聞きました。昔聞いてたらもっと良かったです」というのは、過去を見てる思考なんですよね。
過去を見て、しかも感想を述べているだけで、それって何の生産性もないんですよ。
何の生産性もないことをしても、やっぱりちょっと悲しいと言うか無駄ですよね。
それって内容が違うだけで、普通にテレビでバラエティ番組見てるのと一緒なんですよね。
明日には忘れているお笑い見てアハハって言ってるのと、
それっぽいこと聞いて「あーすごい。時代は変わってるんだ勉強になりました」って明日からは何の変化もない。それじゃあ一緒なんですよね。
せっかく人が学ぶのであれば、学びというのは明日の自分の糧になって欲しいわけですよ。
であれば、明日の自分が一歩でも前に進めるように、自分なら何をするか、何ができるか、そこだけにフォーカスして考えて欲しいと思います。
過去の「可能性」を妄想しない
だから、過去どうだった、ああすれば、こうすれば、あの時チャンスだったのにっていうのは、人間の精神構造としては物凄く強く心に残るようにできてるんですよね。
だから「あの時もっと強く押していれば、あの子を口説けたかもしれない」とか「あの時に転職していれば、今頃は大企業の社員だった」とかね。
そういう「やらなかった方」というのは、やらなかったから無限の可能性が残ってるわけです。
そこに最大限素晴らしい妄想を入れてしまうんですよね。
でもそれは何の意味もないことなので、いま進んできた自分の人生のこれからを妄想する方が、同じ妄想するならよっぽど健全で生産性があるし現実にもなるんですよ。
だからそういう考える力というのは、そっち側に活かすべきという話でした。
それでは今回は以上となります。ありがとうございました。
あの時…もっと早く病院受診していたら!
私は過去指怪我して病院受診が遅れて後悔しています。
もっと早く病院受診していたらこんな酷い指にはならなかった!涙
当時スマホで調べたり友人に相談して病院受診していたら…今はハッピーだったと思います。
後悔後悔で苦しい日日を送っています。
どうしたら過去から立ち直れるのでしょうか?
コメントありがとうございます。Gです。
指のこと、後悔されているのですね。
お指の状態についてわかりませんので、どうしても一般的な回答になりますが、
記事の後半にも書いてますように、過去は変えられないので「これからできること」に意識を向けるしか無いと思います。
今からできる再手術、リハビリなどを調べてみるとか、今のお指の良いところに目を向けるとかですね。
それと極端な話、「もしかしたらその時に治療をしたら、もっと悪いことになっていたかもしれない。その時に治療をしなかったのは正しかった」という考え方もできます。
なんにせよ、最終的に納得の行く状態にできれば「勝ち」です。
時間やお金がかかってでも、これからできることに目を向けてみてください。
お指のこと、よくなるようお祈りしております。
形成外科に通院しているとき、皮膚移植も考えましたが、、今よりも悪くなるかもしれないと先生に言われ、3本指無い人から見たら恵まれていると言われ手術は断念しました。
ありがとうございます。
指が良い方向に向かうよう頑張ってみます。