どうもこんにちはGです。
今日は意外と日本人に多い非常に繊細で敏感な人についてお話をしたいと思います。
目次
優しい人はどう生きればいいのか?
アメリカでも研究がされている
人の顔色を気にしすぎてしまう、人の言うことに影響を受けすぎてしまう人ですね。
この非常に繊細であるとか、人の気分に左右されやすい、痛がり、感動しやすい、大きな音が苦手、一人が好き、そういう感じの人は多いと思うんですよ。
そういう内気で精神的に弱いイメージのある人ですけど、イメージとして日本人に多そうな感じがしますよね。
外国人はもっとバシバシと自分をアピールして喋ったりして、日本人は内気で言いたいことも言えずに人の顔色を見ているみたいな。
それゆえに日本人は弱々しいとかリーダーシップが無いとか、自殺者が多いとか精神的に病んでいる人が多いというイメージは持ちがちなんですけど、
こういうのってアメリカでも研究がされていて、アメリカではこの症状のことが『HSP』と言われているんですよ。
HSPの特徴
『ハイリー・センシティブ・パーソン(Highly sensitive person)』という非常に敏感な人という言い方になって、5人に1人がHSPなんじゃないかと言われるデータもあるくらいなんです。
こういった人達というのは、良い面を言えば感動しやすい、非常に良心的であったり、さらに仕事で言っても相手のやって欲しいことに気付くとか、凄く気が利くとか、仕事を凄くちゃんとこなすという面もあります。
しかしそれを実践する為には、本人に負荷がかかることが多いので、仕事でストレスが溜まるとか、鬱になるとか、凄くプレッシャーに弱いとか、人の気分に左右されやすい、つまり相手の言いなりになってしまうようなことがよくあったりするわけです。
実際の社会で、働いている人達を見ていると、そういう人って多いと思うんですね。
「人のことは人のこと、自分のことは自分のこと、もうそれ以上は知らない」と言えちゃうような強い人って、あんまりいないですよね。
その真逆のタイプの自我の強い人というのは、どちらかというと社長だとか、リーダー職に就いてて、そういった人達にゴリゴリと仕事をねじ込んだりとか、無理強いをしている感じが結構あると思うんですよ。
だからそこだけ見ると、そういった心が弱い人達は、弱い立場で奴隷的に使われているように見えなくもないと思うんですよね。
だけど生き物としてみれば、敏感過ぎる人というのが、色んなことを必要以上に心配したり、気を回したりして、生物として生き残ってきた生存戦略なんですね。
そういった人達の特徴というのが、凄く共感力というのが高いんですよ。
「なるほど、わかるわかる」みたいなことを自分の脳内で拡大して、解釈して、なるほどと共通項を見つけることができるんですよね。
これは物を学ぶ上では非常に重要なポイントじゃないですか。
こういった生存戦略の能力として、非常に優秀だったから、生き物を生き残らせるという意味では、優れた本能なんですよ。
ただそういった人達というのは、当然優秀なんですけど、そこを上手く使われて、高い共感力を上手く利用されて、というのは変ですけど、もしくは自分で変に暴走させてしまって、ストレスを抱えたり、しんどい思いをしてしまうということが多いように思います。
どういうことかいうと、共感力が高いというのは、自分と他人の境界が薄いということなんですね。
つまり他人のことなのに泣いちゃったりとか、他人のことなのにものすごく心配しちゃうとか、他人のことなのに凄く気にしてしまうというのは、自分と他人の境界が薄くて、ちゃんと分けられてないということなんですよね。
タイプを理解する
境界が薄い自分になってしまったというのは、やはり幼少時代の背景とか、ストレスホルモンの働きとかが研究で色々言われてるんですね。
だけど、もうそういう人間に育ってしまったわけですから、次に大事なのは、そういった人達を利用してくる人、そういった人達を振り回すようなパワフルな人にエネルギーを奪われないということが大事だと思います。
凄い疲れてしまうとか、ストレスが溜まるというのは、結局ストレスというのは、思い通りにならないときに非常にストレスが高いんですよね。
楽しく思い通りに好きなことやってたら、ストレスって基本溜まらないですよね。
その自分のやっていることの軸が、自分以外にあるからストレスが湧くわけです。
現代ではそういった心の繊細な人を利用するタイプの人がいて、そのタイプの人というのは、正に先ほどの敏感なHSPの人の真逆のタイプなんですね。
でもこういう人達は悪気のあるないじゃなくて、そういう脳の働き方に育った人なんですね。
だからそういう人達は、悪く言うと共感力が欠落しているように見えるというか凄く自己中ではあります。
ところが、それは別にその人の性格ももちろんありますけど、それがその人にとっての普通なんです。
そういう人というのは、敏感に共感力の薄い人を嗅ぎ分けて、ねじ込んでくるんですよ。
だからねじ込まれてくると「それはアンタの都合でしょ」というようなことでさえ、自分にも責任があるような感じで、押し込まれていって、「うわーやらなきゃ」とか「自分が悪いんだ」と思いやすいというか、思いがちですよね。
こういうのが、その人が悪いとか、その人がどうとかいう話じゃなくて、生き物のタイプとしてそういう敏感で共感力の高いタイプの人もいれば、そういうのに鈍感な力技タイプの人がいるというだけの話なんですよ。実際はね。
優しさを武器にする方法
鈍感なタイプも社会には必要
今の社会という構造においては、鈍感力の高い人が、共感力の高い敏感な人にグイグイ何かをねじ込むことが多いから、結果、繊細な人、心の優しい人ほど、心を病んでしまったり、ストレスを抱えてしまうような世の中になっているという話だと思うんですよ。
とは言っても、皆が共感力を発揮した優しい世界になると、ある意味進まないっちゃ進まないんですよね。
誰も痛い思いをしたくないから、じゃあ辞めときましょうみたいなことになりがちですよね。
たまには無茶を言う人間、アクセルを踏みすぎる人間がいて、話が前に進むというのがあるので、だからどこまでマクロな視点で物を見るのかという所もありますけど、そういう人間も社会的には必要っちゃ必要なんですね。
実際、そういう人間でないと、一代で成果を出す経営者とかにはならないんですよね。
一代で成果を出す経営者というのは、私もよく仕事で会いますけど、大体自己中でエゴが強くて、自分勝手で、まあ酷い奴に見えますよ。
私もどちらかというと、HSPの人間なので、そっちから見ると酷いやつに見えます。
だけど成果という点においては、そういう人間ほど出せるんですよね。
そして同じく繊細な経営者の方もいるんですけど、やはり苦労されているというか、色んなことを気にしちゃう所があるから、気にしちゃう自分を克服しないと、ある程度上にはいけない。
例えば、今はインターネットで色んな人に仕事を発注できるわけですから、向上力のない技術の低い外注さんなんかは、どんどん切っていけばいいわけですよ。
もっと安くて若くて能力の高い人っていくらでもいるので、でもそれがなかなかできない。
相手の家庭事情とか年齢とかスキルとか考えてしまうと、少し安くなるくらいだから、といって新しい人にしようとは思いづらいんですね。
そういうことを言い出すと、それが凄くそういうのって無意識に有るんですよ。
だから理屈でどうこう言うよりも「いや、この人はもう付き合いが長いから。わかってくれるから」みたいな別の正当化の理由を自分で作っちゃって、その人の仕事を頼み続けるみたいな、そういうことを無意識にやりがちなので、伸びないんですね。
それを損得というか、人情というか、表現によってイメージって全然変わりますけど、やはり成果をガリガリ出すビジネスの世界という観点で言うのであれば、共感力の非常に高い人というのは、ちょっと不利なところもあって、そういうジャイアンみたいな奴は強かったりもします。
共感力の高い人の強み
じゃあ共感力の高い人は駄目なのか? というと、もちろんそんなことは全然ありません。
その人にしかないもの、それだけ共感力の高い人だからこそ、センサーが働いているわけなので、世の中の人はこんなことで困っている、こんなことに苦しんでいる、こんなことを解決してほしいんだ、みたいなネタを拾うセンサーって凄く強いわけなんですよ。
自分はこんなに苦労したんだから、皆もきっと苦労しているに違いない、と思いやすいわけですよね。
それを解決する為に自分自身が「こうしたらいいんだよ」みたいな簡単な答えでは、納得できないタイプの人達ですから、こう考えたらどう、こういうのをやってみたらどう、みたいに色々解決策も考えられるんですね。
そういう人達に対して、その人の商品の考え方というのは、商品になるわけですよね。
だからその人の強みにも変換できるわけなので、強みに変換していけば、ビジネス的に不利だとか、駄目だとか自分を変えなきゃというのは、何もないと私は思っています。
ただ自分でビジネスをしている人ではなくて、会社で働いている人達だとすると、先ほどのようなジャイアンみたいな奴に好きにされてしまうという辛い所があります。
そういった人たちは、その境界線というのをある程度コントロールして、自分自身の軸を作るということをやると、他の人の気分にあまり左右されなくなります。
もしくは左右されたとしても、ある程度立て直せるようになります。これがないと相手の気分に左右されまくるんですね。
これって実は恋愛とかもそうで、共感力の高い人って、能力が高くて何でもできるんだけど、いつもダメな奴のいいなりになっているみたいな。
ダメンズに引っかかってる女の子みたいなのは、やはりそういうところがあって、自分の軸が細いというか無いんですよね。
だから何でもいいよと思っているから、相手のわがままに振り回される。そのわがままに対して自分は対応する力とか能力とか考え方があるから、それに対応してしまう。
結果としてそれが普通の状態になるので、常に振り回されてストレスがたまるみたいな。これは会社でもそうですよね。
だからそういう状態って、やっぱりストレスになるので、自分の中に軸を作る。そして人との境界をある程度明確にする。
この二つを意識するだけでもかなり変わってきます。
具体的には、テクニックとして瞑想のテクニックとか、軸を確立する方法とかいろいろあるんですけど、そういうのは調べてもらったら大体わかると思います。
弱さは強さに変えられる
やはり私自身、そういう傾向の人間だから、しんどい気持ちは分かるんですよ。
向こうからメッセージが来たら、全部それが悪いことじゃないか不安になったり、クレームがくるんじゃないかとか、文句つけられるんじゃないだろうかみたいな。
そういう気持ちはわかるんですけど、それをいかにうまく使うかというので、大きく方向性って変わるので、すごいクレームが嫌なあまりに、自分の仕事を批判されるのが怖いあまりに、逆に必死にぐうの音も出ないように頑張るみたいなことに昇華したわけですよ。
そしたらその分、他の一般のそんなに気にしない人たちにしてみれば、「そこまでやってくれるんですか」とか「そこまで考えてくれているんですか」みたいに思ってもらえて評価されるんですよ。
これがもし私のメンタルが強かったら、そんな風には思わなかったと思うんですね。「これぐらいでいいだろう」みたいな。
そしたら向こうは口には出さないかもしれないけど、まあこんなもんかとか、普通に思ってたと思うので、そこからの発展がなかったわけです。
だから「弱い強い」というのは全部表裏一体なので、弱い人間というのは、その弱さを完全に武器にできるんですよね。
よく言葉で弱さを武器にしろとかいうけど、具体的にどうなんだ、本当にそんなことできるのか、と思うときもあるんですけど、できるんですよね。
だから悪い方に目を向ければ向けるほど、どんどん自分の中で自分の弱さを自己正当化していくというか、自分の認識として強化してしまうので、逆にそれがどれだけ武器になるかというふうに常に自分の中で考え続ける。
自分の悪いことを自分が絶対に否定しない。
常にそれは「でもこういう所で武器になってるぜ」みたいな感じで、常に自分で自分を良い方向に教育し続ける、洗脳し続ける、というのが、今の厳しい時代に必要ではないかと思います。
そういう人達はいい人なんですよね。いい人なんですけど、苦しんでいる。だからこそ、こういう話をするというか、いい人だから、苦しまずにもっと楽しい幸せな人生になって欲しい。
その為には本人の強さというのがいるんですよね。メンタル的な強さ。それを持つヒントになって貰えたらと思います
それでは本日は以上になります。ありがとうございました。
ものは言いようですが、様は優しい人も自我の強い人も、みんな自分中心で物事を考えているから行き詰ったとき思考が停止するんです。何故なら自分中心で物事を考えると、社会という協力し合わなければ成り立たないシステムの中では矛盾が生じるからです。矛盾が生じてこれ以上いくら考えても自分中心な考え方のままでは解けない、だから答えも出ない、だから死や欝といった病にかかったように一見見えるけど、要は逃げてるんですよね。多分意図せずに。意図せずだから逃げているけど誰も悪くない、多分ね、本来ならば。でも、自分が逃げている事に気付いてそのままだったらそれはその人の問題であり非もある。そういった問題を無くすには、自分中心で物事を考えるのではなく全てを見てその中に自分を置きしかし自分は居ないものとして物事を考える。そうすればありとあらゆる問題はすらすら解ける様になる。行き詰る事もなく答えも出る様になる。ちなみにこれ悪用する事も出来るんで気をつけてね。くれぐれも悪用はしないでください。