
どうもこんにちはGです。
今回はリクエストを頂きましたので、ネガティブを超えて卑屈になってしまうので、そういう自分をなんとかしたいっていう解決策についてお話したいと思います。
目次
卑屈になってしまうのを解決するには
頂いたリクエスト
なんか「卑屈な男は結婚できない」っていう風な言葉があったらしくて、それについて調べてみると、ネガティブなのを超えて卑屈になってしまうのは良くないっていう風なことが書かれていたと。
ただ自分自身、過去の嫌な経験などそういったものを引きずってしまって、気持ちが落ち込む(卑屈な気持ちになる)ということがありますと。
それに対して、Gさんの考える解決策を聞かせて欲しいですみたいな内容だったんですね。
コレで解決できる!とは言えない
これは何か一つの答えでバーンとこうしたらいいですよっていう風にはすごい答えづらい内容なんですよ。
なので、それについてちょっとこう色々と、いろんな方面からお話ししてみようと思います。
その中に多分引っかかる内容と言うか引っかかる答えが見えてくると思うんですね。
こういう回りくどい話し方をしなきゃいけない理由がありまして、話をいつものように「こういうテーマについて喋ります。結論はこうです」という風にまとめるとなると、結局まとめる時点で答えを一つに集約させてるんですよ。
ところが気持ちとか感情に関する問題っていうのは非常にケースバイケースであったり、答えがTPOによって変わったりもするんですよね。
なぜ答えが変わるのかって言うと、大目的として自分の気持ちを落ち着かせるとか、自分のへこんだ気持ちを立ち直らせるのが大目的であれば、それに使うべき過程や道具というのはその時のケースバイケースになるんですよ。
だからこれが正しい、あれが正しいっていうのが簡単に入れ替わるんですよね。
自分の心をどうしたいか
例えば、他人の悪口を言ってスッキリする。これって普通はありえないっていうか、いい話では絶対ないんですよ。
だけど、自分がもう死にたいぐらい落ち込んでたり、相手を殺したいぐらい憎んでたりしたら、その気持ちを一時落ち着かせるために他人の悪口を言う事はありじゃないですか。
だけど、それをなんか「他人の悪口を言いましょう」ってまとめちゃうと、いつでも悪口を言わなきゃいけないというか、悪口を言うことが正しいように聞こえてしまうんですよね。
かと言って、悪口を言ってはいけませんよって決めちゃうと、自分の心をなだめるのにすごく苦労するわけですよ。
だから自分の心の問題に関しては、唯一無二の正解みたいな考え方をするのではなくて、本当に都合よくいろんな武器を取捨選択して、その時の自分の心にちょうどいいものを使っていくことがすごく大事になるんですね。
そのために言ってることとか、やってることに矛盾があってもいいんですよ。
でも結果として、大きな流れとして見れば、心が落ち着く方向に動いているんだから、これはありなんだっていう風に最後にまとめればいいんですよね。
その過程でちょっとずるいことをしてしまっても、ちょっと卑怯な事を考えてしまっても、ちょっと他人を貶めるような発想をしてしまったとしても、それが本当に必要だったらしょうがないんですよね。人間だから。
それを自分に許すことも大事なんです。
だから人間の心に関する問題にはそういう側面があるので、これが正しいんだっていう風な答えを探すのではなくて、自分の心をどうしたいか、という大目的ですよね。
ゴールをまず明確にして、そのために必要ないろんな道具を使って行くんだっていう風にまず知ってほしいと思います。
複数の解決策を使用する
その心を整えるために何が効果的かっていうのは、やっぱり人それぞれ違うわけですよ。
お酒を飲むことで整う人もいれば、たくさん睡眠を取るとスッキリする人もいる。
女の子と遊ぶと心が戻る人もいれば、なんか好きな映画とか音楽とか、あとはカラオケとかで整う人もいますよね。
だからこれもこれがいいですよ、こうしたらいいですよっていう風な唯一無二の答えとして言ってしまうと、なかなか当てはまる人と当てはまらない人が発生して、難しい話になるんです。
だから色んな選択肢をお話しするので、その中から自分に「あ、これはいいんじゃない」っていうやつを選んで欲しいんですよね。
プラスちょっと新しいことも少し取り入れて欲しいと思います。
そういう風な意味で、こういうのもあるよっていう話をするので、いやそれは違うだろとか、いやそれは自分には合わないっていう風な否定的な捉え方は、できるだけしないでほしいんですよね。
なぜならば、その気持ちを変えるための行為とかいうのは全て意味があるんですよね。
マイナスをゼロにする
例えばですけど、アルコールはわかりやすいですよね。
脳の一部を麻痺させることで、ネガティブな部分を忘れさせる。ポジティブな考え方が出やすくなるわけですよね。
これは脳を物理的に麻痺させてるので、よっぽどの泣き上戸とかでない限りは大体明るい気持ちになるわけですよ。
それに頼る状態が良いのかって言われれば良くはないんですけど、でもやっぱり自分の今の痛みをちょっと和らげる為には必要だったりするんですよね。
この考え方もやはり大事で、例えば風邪を引いて熱を出してる人に「お前は身体を鍛えてなくて、体が弱いからそうやって熱が出るんだ、すぐ起きて筋トレだ!」って言っても駄目じゃないですか。
いま熱が出て苦しい人には、体にいいか悪いかは置いといて解熱剤とかそういったものを与えるべきですよね。
それで今の苦しい状態を乗り越えて、なんとか痛みから回復した後に、「今後、同じように風邪を引いたり体を壊したりしないように筋トレをしましょうね」っていうことが大事なわけですよ。
だから今マイナスの状態にいるときは、それを少なくともゼロの状態に戻すための痛み止めが先なんですよね。
それがない状態で、お前は体が弱いから筋トレだって言われても、そんな正論は受け入れられないし、事実無理なんですよ。
実際、その時にそれをやったら余計悪くなるじゃないですか。
熱が39度あって、ゴホゴホ言ってる時に激しく筋トレしていい事って何一つないですよね。
誰にでも効く万能薬はない
だけど、なぜか心の問題ではそれをやろうとする人が多いんですよ。
だから、そんなことはしなくていいと。
辛いならその辛いのが治るまでは、薬でもお酒でもなんでもいいから逃げればいいんですよね。
なんとか落ち着いてから、冷静になってから、じゃあどうしたらいいだろうっていうのを考えればいいんですよ。
筋トレ、これもやはり卑屈な自分とかを前向きにするには非常に重要ですよね。
よく言われますけど、テストステロンをはじめとした、色んな活性化ホルモンがバンバン出るわけじゃないですか。
それでテンションが上がっていくし、それで自分の筋肉が増えていくと、無意味なまでの万能感を得られるようになりますよね。
こうなってくると、卑屈な自分っていうのが消えていくんですよ。
だからまさしくやるべきなんですけど、でもこの間のステップを無視して、自信を持てない自分に悩んでるんですっていう人に「筋トレだ!」って言っても、全く響かないと言うか、何言ってんだって話になるじゃないですか。
だからゴールまでの途中の対応こそが大事なんですよね。
その途中の対応は、自分の気持ちが上がるものとか、自分の痛みが薄れるものっていうものをチョイスして当てはめていくしかないと。
唯一無二の答えがあるわけじゃない。誰にでも効く万能薬はあるわけじゃないっていう話なんですよね。
落ち込んだときの解決法
現状を把握する
これでもう基本的な考え方っていうのは伝わったと思うんですけど、例えば「卑屈な人は結婚できない」っていうのがなんかキッカケだったらしいんですけど、人気がないとか人に好かれない、格好悪い、色々あると思うんですよ。
ただこの卑屈であるっていうことに関しても、まず現状把握をして欲しいんですよね。
卑屈であるって言うけど、なんか360度全てに対して卑屈な人間ってなかなかいないと思うんですよ。
人間関係にコンプレックスがあって卑屈であるとか、なんかお金に関してとか、見た目に関してとか、自分の立場に関して、地位に関して、色々あると思うんですよね。
だから自分はどんなことに対して自信がなくて、卑屈になってしまうのかっていうのは、それは一度明確にすべきなんですよね。
それが「いやいや、自分は何に対しても自信がないんだ」って言うんであれば、それも全部書き出せばいいんですよ。
何に対してもって言いながら、たぶん書き出したら20個も書けないと思うんですよね。
そういったものに関して卑屈になったとしたら、今度その卑屈になってしまう自分に自信が持てない原因、その多くは、なんか過去の出来事だったり失敗だったり教育だったりすると思うんですけど、それをその横に一対一で書き出したらいいんですね。
原因と結果を明確にする
そうすると、原因と結果というのが見えるわけじゃないですか。
その後に自分のテンションというか心の状態をフラットにしてから、それをもう1回確認して欲しいんですけど、それって本当に結びつく内容ですかっていうこと意外とあるんですよね。
自分はこういうことがあったから、これに対して自信が持てないんだとか、例えば若い頃こっぴどく振られたから、女性に対して強く出れないんだっていうコンプレックスがあったとします。
ある女性に「あなたは魅力的じゃないのよ」って言われて、そのせいで女性全般に対して卑屈になったっていうのがあった時に、これでも冷静に考えたら原因と状態が繋がってないんですよね。
だって自分に対してそういったことを言った女性に対して卑屈になるならまだ分かりますよ。
自分に対してそういう評価をした人ですからね。
だけど、その人じゃない女性に対してまで卑屈になるって言うのは、これ拡大解釈ですよね。
女性っていうものを、たった一例(もしくは数例)を拡大解釈して、世界の全てかのように解釈して「だから自分はダメなんだ」という結論。これは論理の飛躍なんですよ。
でも過去に引きずられてる人の発想というのは、多くの場合、この間違った論理の飛躍からの学習なんですよね。
例えば、100回失敗したから、もう自分は絶対うまくいかないんだっていうのは、100回やり方が悪かっただけとも言えるじゃないですか。
ならその100回分やり方をチューニングしていけば、101回目以降は全部成功するかもしれないですよね。
そう考えたら、過去の失敗は失敗でもないし、成功に至るまでのトレーニング、もしくは試行錯誤であったと思えば、それは過去の失敗は何一つコンプレックスの原因にはならないはずなんですよ。
だけど、それを「これだけ失敗したんだから、自分はこれからも失敗するだろう」というのは、ある意味、過去のデータの分析の間違いなんですよね。
過去のそういった失敗したというデータをこの世の全てのように、自分の全てのように解釈して「だからこれからも失敗するんだ」って思ってしまうわけですよ。
だから多くの場合、自分を行動させている過去にあった出来事と、今実際に行動しているもの。
そして未来に起きるものは繋がってないんですよね。
過去は関係ない
最近言われる「時間は過去から未来に向かって流れてるのではなくて、未来から過去に向かって流れている」という発想を取り入れると、この考え方は受け入れやすくなるんですけど、過去はもう関係ないんですよね。
これまで例えば過去に100回悪いことしてきた人がいたとして、でも今の瞬間から死ぬまで一つも悪いことをしなかったとしたら、その人は少なくともこれから会う人にとってみればもう聖人みたいな人ですよね。
ものすごくいい人ですよね。
これ過去関係ないってことの証明じゃないですか。
だから過去どうだったかというのは、少なくともこれから自分がどうしたいっていうのが明確であれば過去は関係ないんですよね。
過去のパラメーターを持ってきて、今の自分にわざわざ埋め込む必要はないっていうことなんですよ。
もしそれが必要があるとしたら、過去において自分はこれだけ失敗したから、そういった失敗をしないためにどういったところを気をつけるべきだろうと過去は利用するべきなんですよね。
なのにその過去のデータを見て、「過去うまくいかなかったから、これからの自分もうまくいかない」というのが自信の喪失であり、卑屈になる、ネガティブ思考になるっていう事だと思うんですよね。
ネガティブは悪くないしポジティブも良くない
ネガティブのメリット
まあネガティブ思考というのも、解釈によっては難しいと思うんですけど、私はネガティブ思考を悪いとは思ってないんですよ。
私自身、ネガティブ思考ですし。
ネガティブ思考だからこそ、準備を整えることが出来るわけじゃないですか。
事故が起きないように、事故が起きたらどうしようと思うから、起きないように準備をしようとか、確認をしようって思うわけですし、失敗したらやだなーこわいなーって思うから、失敗しないでいいような用意をするわけですよね。
で、やはり人に低く評価されたら嫌だなあ、お前なんかもういらないって言われたら嫌だなって思うからこそ、毎日研鑽を積むわけですよ。
ポジティブのデメリット
そういう気持ちが何もなくて、「今うまくいってるから、これからも何とかなるっしょ」っていうようなポジティブ思考って逆に怖いですよね。
ただ経営者みたいにどんどん前に行かなきゃいけない人間には、そういう無意味なポジティブさっていうのも確かに大事なんですよね。
だから起業家というのは底抜けにポジティブでいいんですよ。
でもそれを形にしていく実業家というのは、ネガティブであった方がいいんですよね。
ネガティブとポジティブの良さを活かす
ネガティブな実業家は新しいものを生み出すことがすごく苦手なので、このポジティブな起業家とネガティブな実業家が組んで仕事をすると、会社ってのは育っていくんですよね。
だから自分の得意なところをうまく使えばいいっていうことなんですよ。
で、ネガティブっていうことも、これはネガティブっていうのは考え方とかの方向性とか、状態なので、これは良いも悪いもないんですよね。そもそも。
いいように使えば良いし、悪いように捉えれば悪いってものじゃないですか。
じゃあその武器をうまく使えばいい、まあ有効活用すればいいっていう話なんですよね。
という風にもう自分に与えられている全てのもの、過去も含めて全てのものを自分のこれから生きていくための武器とか道具であるっていう風に捉えて、その為に有効な使い方はなんだろうって考える。
これが一番大事な基本的な考え方なんですよ。
過去の正しい使い方
過去にどんな失敗をしていたとしても、過去に失敗したからダメなんだって思うんじゃなくて、過去にこれだけ失敗したから、このデータを基にこれから失敗しないように努力しようと思う。
自分が何か痛い目にあったとしたら、今後は痛い目にあわないようにどのようにすればいいか考える。
という風な感じで、自分の持ってるものを自分の心の気持ちの状態を上げ下げすることに使う必要はないってことなんですよね。
それよりも感情じゃなくて、実際の行動を上げ下げするというか、行動をするための道具として考える。
で、過去の出来事とか自分に与えられてるものを自分の感情が上がる方向で使うのはありなんですよね。
これだけ成功したんだから俺って幸せだよなとか嬉しいよなーって思うのは全然ありなんですよ。
それすらも自分の行動の成功に寄与するから。
だけど、下げる方向、引っ張られる方向には何一つ使う必要もないし、何一つそこに脳のリソースを割く必要はないってことなんですよね。
それでも落ち込むなら
精神と肉体の関係
とはいえ、人間ってそういうのに引っ張られるじゃないですか。
感情の生き物だから。
そういった時はもう大人しく酒を飲みましょう、グッスリ寝ましょう、オナニーしましょう、筋トレしましょうっていう話なんですよ。
なんでもいい。なんなら全部やればいい。
全部やってそれでも「はぁ〜落ち込む…」なんて、まあ無いと思いますよ。
やはり体の状態が落ちてる時って精神の状態も落ちるんですよね。
疲れてる時って気分も落ち込みやすいんですよ。
だから自分の過去の嫌な経験とか思い出したりして自分のテンションが下がってる時って多分肉体も下がってるんですよね。
これ逆に肉体を上げていけば、気分も上がるんですよ。
これはもう昔からそれこそニーチェとかが、精神は肉体のおもちゃであるって言ってるように、肉体が主動であることは過去から言われてるんですね。
そして現実的な話で言っても、最近では、人体の内臓とかそういう器官からホルモンが出るから、人間の感情をコントロールしているのは、脳から出る脳内伝達物質だけじゃなくて、大腸や小腸が出しているホルモンとかによっても上げ下げされてることが分かっているわけですよ。
だから結局、自分の気持ちが上がる下がるというのは、やはり体の状態の影響をすごく受けるんですよね。
まずは肉体を気持ち良くさせる
だから体をまず気持ち良くしましょうという話なんですよ。
嫌なことがあった、辛いことがあった、気分が落ち込んだ、過去を思い出したという時は、まず肉体を気持ちよくして、気持ちいい脳内伝達物質を出して、精神をまずフラットに戻す。
フラットに戻して、そこから冷静に考えれば過去と現在は繋がっていないことが分かるはずなんですよ。
そこで「いやいや、とは言いながら」とか言い出したらもう一回酒飲んだらいいんですよね。
気分が上がってきたら、「そうだよ、過去の自分ってもう現在存在しないじゃん。存在しないものをひたすら恐れるってお化けとかそんなレベルの話じゃないか。そんなのは恐れる必要も悩む必要もないんだな」という風に体と気分が上がってくれば、その後じゃあ自分はどうすればいいかが見えてくると思うんですよね。
これでどういう風に考えるべきかというお話はこれでできたと思います。
心の問題は複雑(コンプレックス)
一つずつ解決していく
だから一つの大きな破損を直す時に、一つの工具では直せないように、自分の心の問題とかいうのは、例えば今40才の方ならやはり40年近くかけてできてきた傷だったりするわけですよね。
だからそれを簡単に治そうと、一つの道具で直そうと思わずに、いろんな手当、いろんな道具を使いましょうっていうことも大事なんですよ。
そもそもコンプレックスという言葉も、もともと「複雑な」とか「絡みあった」って意味じゃないですか。
それが心理的な引け目とか負い目みたいな風に、確か和製英語ですよね。
だから結局、いろんな複雑な問題が絡み合ってるから心が下がってしまう、変な負い目を感じてしまう、行動ができないという状態になっている、ということなんですけど、それをまさに絡み合った状態、複雑な状態という言葉を使ってるわけじゃないですか。
この時点で、問題は一つの分かりやすくスパンと解決できることじゃないっていうのもわかるわけですよね。
もうコンプレックスなんですよ。いろんなものが混ざり合ってるんですよ。
だから一個一個解きほぐしていけばいいんですよね。
その時にその解きほぐす為に、必要なこと、一個一個を見れば、そんな複雑なものではないということなんですよ。
小さな手当をしていく
すごく絡み合った、すごく壊れたものであったとしても、一個一個の部品を直すのはドライバーであったりネジであったり、スパナであったりシンプルだったりするじゃないですか。
それと一緒で、ものすごく死にたいぐらいの大きな傷があったとしても、その傷を癒すための一個一個は、一杯のビールであったり温泉であったり、女の子との会話であったり、そういった小さいものなんですよね。
それをそういう風に捉えずに「自分はもう死にたいぐらい悩んでるんだ、筋トレしろとかビールを飲めとかなめてんのか。違うんだよ、俺の辛さはそんなのじゃないんだよ」みたいに思っちゃうとダメなんですよね。
死にたいぐらいの大きな悩みであっても、それを全て細かく分解して、その一個一個に手当てをしていくと考えれば、その一個一個の手当は本当に日常の小さなことなんですよね。
その小さな手当をちゃんとしてあげてくださいっていうことも大事なんです。
痛みには痛み止めを
ちなみに失恋した時の痛みというのは、物理的に胸とか頭が痛いらしいんですよね。
あれは脳が本当に痛みを感じてるからなんですよね。
まあ失恋だけじゃなくてもそうだと思うんですけど、よく「胸が痛い」とかもう辛すぎて「胃がキリキリする」みたいに、身体の不調というのは、本当に物理的に脳が感じてる痛みだったりするわけですよ。
だから脳に普通に働きかける痛み止めとかを飲んだら、失恋の痛みにも効くんですよね。
そこの作用機序を知らずに、「失恋した?胸が苦しい?じゃあ痛み止め飲めを」って言ったら、ナメてんのかとか馬鹿にしてんのって思われるかもしれないんですけど、痛がってるのはリアル脳なんですよね。
脳がリアルに痛がっているから、脳の痛み止めを飲むのは本当に効果があることなんですよ。
そういうことをちゃんと一個ずつやれば、正しい真理みたいなものは、意外と身近にあるよっていうことなんです。
それを全部絡み合って複雑にしてしまって、難しくして、何ともできない。
「もう自分には何もできないんだ!」みたいに大きな問題にしてしまうのはそもそもの発想が違うっていうことなんですよね。
ちょっと長くなりましたが、卑屈とかだけじゃなくて、自分の過去とか自分のトラウマ、コンプレックス、そういったものを持ってる人の解決の一助となれば幸いだと思います。
それでは今回は以上となります。ありがとうございました。
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