どうもこんにちは G です。
今回は、いま生きにくい人は100%を求めすぎかもというお話をしたいと思います。
目次
幸せに生きている人との違い
生きづらさの原因
生きにくいというのは、生きているのが辛いとか、自分の人生に不足や不満がある、ストレスがあるという状態のことなんですけど、
なんか閉塞感を感じている、自分の人生が不幸だと感じている、もういろいろストレスもたまる、人間関係や仕事やいろんなものが辛くて生きていくのが辛い、生きにくい世の中だっていう風に思っている人。
そういう人にちょっと言いたいのが、100%の何かをを求めすぎてはいませんかということなんです。
例えば、100%好きなことができてないから、今の仕事は嫌だとか、今の状態は嫌だとか、100%好きな人に囲まれてないから今のコミュニティは嫌だ、今の人間関係にストレスがある、
そういう風になんか100%は言い過ぎでも、求めている割合が多すぎる人、多すぎるものを求めてしまうと、そこにストレスとか思い通りにならない不満を感じてしまうんですね。
でもそもそも100%の人に好かれる、愛されるとか、100%の人に認めてもらうとか、100%好きなことをするなんて無理なんですよね。
いま幸せな人も「好きなことだけ」はしていない
幸せになってる人、幸せを感じてる人、毎日楽しいよって言っている人達も、決して100%楽しいことだけをやっているわけではないんですよね。
例えば、好きなことが絵を描くことで、漫画家になったとしても、好きなことなんだから100%楽しいか、幸せかと言ったら、そうではないんですね。
思い通りの物で売れなかったらすぐ打ち切られるわけで、ただ描きたいものを描いているだけじゃないだろうし、
締切に間に合わせるために徹夜をしたり、技術を磨いたりする必要もあるだろうし、自分は可愛い女の子の絵を描きたいけど、漫画なら機械や背景を書いたり、大変なことをしなきゃいけないはずなんです。
だから100%自分のしたいことだけをしている人間なんていないわけですよ。
それで生活ができていける大人っていないわけですよね。
ただそういった人が幸せなのが、自分が思い通りにできてるところとか、自分のことを認めてくれてる人がいる、そういうところに自分の意識をフォーカスしているから、自分の人生は幸せだな楽しいなっていう風に思えるわけです。
「楽しい」と「楽」は別である
だけどうまくいかないところばかりにフォーカスして、自分の人生が100パーセント幸せじゃないからとか、100パーセント恵まれてないから不幸せだみたいな発想をしてしまうと、生きにくくなるんですよね。
「楽しい」と「楽」は違うわけですよね。
つい漢字が一緒だから、同じことのように印象として捉えやすいんですよ。
でも「楽しいこと」と「楽なこと」は全然違って、例えばスポーツを楽しむ人は多いわけですけど、じゃあ楽なのかって言うとそうではないですよね。
どんなスポーツだって体を使ってもう息も上がる汗もかく、辛い思いもする、筋肉痛もする、トレーニングもする、
だけど自分がそれをやって楽しいと思える要素や達成感とかがあるから、その苦しみすらも楽しく耐えられるわけですよね。
100%楽しくて楽チンで苦痛のないものを求めてたらスポーツなんかやれるわけがないですよ。
なんか家でゴロゴロして退屈だー、暇だー、いいことないかなあって言ってるくせに、じゃあちょっと散歩でもしてみたらって言ったら、なんか外出るのしんどいし、歩くとだるいしとか言い出す人もいますよね。
何か面白いことないのって言うから、この本でも読んだらって言ったら、字ばっかりの本読むの疲れるし、興味ないしって言い出す人。
そういう人はなんか「100%の楽かつ楽しいもの」を求めてる気がするんですよね。
でもそんなものはないと。その中に含まれるちょっとでも疲れそうだとかしんどいとか、そういう部分にこのネガティブな部分に目を向けて、それがあるから嫌だ嫌だって言っていると、この世の全ては嫌なものになってしまうんですよね。
意外と世の中はシンプル
「簡単」と「楽」も違う
先程、「楽しい」と「楽」は違うって言いましたけど、同じように「簡単」と「楽」も違うんですよね。
簡単だからやってみようっていう風にやり始めて、楽じゃないからとやめる人凄く多いんですよ。
例えばダイエットするなんて簡単なんですよね。
摂取カロリーより消費カロリーの方を多くすればいいし、たぶん1日50回ずつ腕立てと腹筋とスクワットを1ヶ月続ければ、2,3kgは痩せるわけですよ。
このルールは簡単じゃないですか。だけどそれは楽じゃないんですよね。
だんだん分かってきてると思うんですけど、実は世の中で成功する成功法則とか人生で幸せになる方法とか、本当のルール、真理みたいなものは簡単なことなんですよ。
だけど簡単なことができない人だらけだから、うまくいってないっていうに感じるんですよ。
もっと何か自分にも出来る幸せになれるルールはないのか、成功法則はないのかって求めるとジプシーになってしまうわけです。
だけど成功法則なんかシンプルで、ちゃんと次の日にやることを前の晩にto do リストにして、次の日にそれをやるだけで成功するんですよね。
だけどそんなルールはみんなで100回ぐらい聞いてるけど、2日以上やった人はほとんどいないと思うんですよ。
という風に難しいことを求めてる訳じゃなくて、世の中は結構シンプルなんですよね。
シンプルで必要な良いところとか、そういったところに意識を向けることこそがすごい大事なんですよね。
悪い部分にフォーカスする人の末路
精神的に病む人、うつ病とかになる人は、なんでも悪い所に意識を持って行くんですよ。
例えば、インターネットなんかでもそうなんですけど、インターネットやって性格が歪んでくる人間っているんですけど、そういう歪んでくる人間に限って、
なんか女性叩きをしているサイトとか、もしくは嫌なエピソードばっかり書いてあるようなページばっかり読んでたりするんですよね。
世の中が嫌だとか、世の中はクソだ、日本はクソだ、女はクソだみたいな本当か嘘かも分からない偏向性のある情報ばかりに自分を浸していくから、なんか世の中の全部が本当にその通りのように見えてしまうんですよね。
自分自身の常識が塗り替えられておかしくなっていっているんだけど、本人は気付いていないんですよ。
やはり人間は食べたものが身体を作るように、見たり聞いたり考えたりしたことが、自分の考え方とか脳みそを作るんですよね。
だから何を見るのか、何を聞くのか、何を学ぶのかということが、自分自身の人格形成にとってすごく大事なわけですよ。
もう生きづらさを感じたくないなら
健康な体を作りたい人が、例えばジャンクフードばかりは食べないじゃないですか。
じゃあ健全な幸せな自分の人格とか、脳味噌を作りたいのであれば、くだらないものを読んでちゃいけないし、悪いものとかうまくいってないものに意識を向けてててもいけないんですよ。
もちろん、目を背けるということじゃなくて、それを改善するための現状把握として目を向けることは必要かもしれません。
だけどそれは過去のことで、自分が克服すべきことであって、そこについてウジウジとそこばかりを眺めて暮らすものではないですよね。
だからそういう自分がうまくいきたい、幸せになりたいのであれば、世の中に100%を求めてうまくいかないところに意識をフォーカスのは一度止めて、
自分は借金があろうが、人間関係が悪かろうが、でも五体満足の体があるとか、自分はまだこれから再チャレンジする寿命が残っているとか、
そういった「いいところ」に目を向けて、自分がやるべきことをやっていく、生きていくことが大事ということです。
それでは今回は以上となります。ありがとうございました。
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