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なぜ勉強しないといけないのか?学校の勉強が大人になっても役に立つ理由

2019年11月20日

どうもこんにちはGです。
今回は、学習する前提として学び方を学ぶことが重要ということについてお話します。

勉強しないといけない理由

学校の勉強は意味ない論

ちょっとややこしいと思うんですけど、学習する前提として、一番大事な基礎の部分として、学び方を学びましょうっていうことを言いたいわけです。

まず「学び方」とは何なのかというところから、話をしないといけないと思うんですけど、小学校、中学校の時に、まあ国語算数理科社会、いろいろ学ぶじゃないですか。

そういうときに「日本の歴史とか学んで将来の役に立つの」とか「こんな勉強が大人になって何の役に立つの」という子供が結構いるんですよね。

で、親に「大人になったらこんなもん使わないでしょ」と。

円周率の計算とか、お父さんの仕事で使うのみたいな感じで、じゃあやる意味ないんじゃんみたいな、そういう風なことを言い出す子が結構いるわけですよ。

最近、歌手が「漢文はいらない」とか言ったりして、ちょっと話題になってたりもしてたんですよね。

確かに、小中学校でやった座学というのは、大人になって働く時に直接使う事はあまりないわけですよね。

別に鎌倉幕府がいつ何年にできていようが、大人になってからそれを求められる事はないわけですし、求められてもそれはその時に検索すれば出てくるわけですよ。

だからそんなの検索すればいいじゃん、覚える必要ないじゃんっていう人も多いわけで、それはそれで一見、一理あるわけなんですよね。

「将来の役に立つ」よりも具体的な理由

ところが、実際、私も若い人から年配の方まで、いろんな年代の社会人の方とお話しするんですけど、

大人になって、例えば資格試験がなかなか通らない、大人になってから必要な勉強事ができない、覚えられない、わからないっていう仕事ができない人は、やっぱり小中学校の頃、あんまり勉強してこなかった人が多いんですよ。

例えば、免許を取るのに落ちまくる人も、小中学校の勉強と免許の内容というのは、一見関係ないですよね。

だけど小中学校のときに成績が悪かった人は、免許試験でもうまくいかないんですよ。

なんでかなーと思っていろいろ話を聞いてて思ったのが、小さい頃に色々と暗記ものとかがあった時に、

その暗記ものを単純に覚えるのは大変だから、例えば語呂合わせにしたりとか、イメージに紐付けて覚えたりとか、なんか自分の知ってることを結びつけて覚えたりするのをよくやったと思うんですよ。

そういう言葉だけを並べられたら、全然意味が頭に入ってこないし、イメージができないから、何か知ってるものに紐付けて覚えるとか、

語呂合わせにして覚える事を子供の頃やってた人は、例えばそうやって大人になって資格の試験を取るとか、法律を学ぶとか、なんか免許の試験を受ける時にも、

同じように語呂合わせだったり、言葉のイメージをちゃんと理解したりとか、そういう事をうまく応用して、理解が早いんですね。

この話は、免許がない人にしたらちんぷんかんぷんな話なんですけど、車では「追い抜き」「追い越し」というのがあります。

免許を持ってる人にしたら当然の話なんですけど、免許がない人にしたら「追い越し」と「追い抜き」の違いがまず分からないわけですよ。

それを覚えないといけないから、なんか車線変更していく方が、追い越しで、車線変更しないのが追い抜きで、と一生懸命覚えようとするんですけど、

それだけ覚えても結構ごっちゃになったりして、その二つを入れ違えて思い出してしまうとかもあるんですよね。

だけど「追い抜く」というのは、例えば大根を抜くとか、スポーンと抜くっていうような直線的なイメージで考えて、

車線変更とか車を動かさずにスポーンと、大根を引っこ抜くように車を追い抜くんだっていう風に思えば、

追い抜きというのは、そのまま真っ直ぐ抜けているイメージで、車線変更してないなって覚えれば、すごくそれは覚えやすいんですよね。

追い越しで言えば、追い越すためにはまず追いつかないといけないと。

「追いつけ追い越せ」とも言うし、追いつくっていう時点で相手の後ろを走ってて、追いついたから相手をよいしょって越えるために横にはみ出て、相手を越えて行く。

だから追い越しは、車線を変更して、相手を抜くことだという風に想像できるわけですね。

そういう風にイメージで覚えると、間違えにくいんですよ。

言葉を見るだけで、「こっちは抜きだから真っ直ぐだ」っていう風になるわけですね。

最初に言ったように、単語だけで追い抜き、追い越しだけで覚えたよりはよっぽど定着もするし覚えやすいんですよね。

これは一例ですけど、何かその言葉をそのまま言葉として覚えようとすると、言葉は単なる記号なので、記号の形の微差なので、こんがらがって当然なんですよ。

だけどその記号に意味を持たせるから、その意味の違いを定着させることができるんですよね。

だからそういう風に覚えると覚えやすい。

やはり小中学生のころにそういった歴史を覚えるとか、天体を覚える、化学反応を覚える、そういったことをしっかりやってた人は、どのようにして覚えるかという努力みたいなことをやってるわけですね。

そこで学んだイメージと結びつけて覚えるとか、そういった「技術」みたいなものを大人になっても活用できるわけなんですよ。

試合のときに素振りはしない

これスポーツで考えると分かりやすくて、練習のときは、素振りしたり走り込みしたりするわけじゃないですか。

でも試合の時に素振りはしないですよね。試合の時に走り込みもしない、腕立てもしない。

だけど、試合の時に素振りしないのに、素振りする意味あるんですか、こんなの意味ないですよねとは言わないですよね。

素振りをすること、腕立てをすること、腹筋をすること、体を鍛えることが、将来の実際の本番、つまり試合の時に役立つのはみんな分かってるわけなんですよ。だからやる。

小中学校の頃の勉強もそうだと思うんですよね。

そのときに勉強した内容が、そのまま大人になって生活で出てくる事はあまりないんですよね。

多少出てくることはあるけれど、出てこなかったとしても何の問題もないんです。

2次関数が分かったら、何かの計算には便利かもしれないけど、別にわからなかったからといって困るほどではない。

だけど、それを知ったからどうとかいうより、それを学んだ。覚えた。覚えるために工夫した。学ぶために工夫した。

そういったことが自分の基礎体力みたいになって、大人になってから人間関係を学ぶ、コミュニケーションを学ぶ、仕事に必要な情報を学ぶ、資格を取るためのことを学ぶ。そういった時に全部活きてくるんですね。

そういう風に考えれば、小中学生の時の内容が、いちいち星の動きなんて将来何の役に立つんですかとか、平安時代に何やったかなんて意味あるんですか、みたいなことをいちいち言わなくてもいいことなんですよ。

そういった小中学校の頃にやってた小さいことに噛み付いて、これは意味あるんですか、ないんですかっていうのは、本当にその小さな一点だけを見て評価してるだけの話だと思うんですね。

人生を長いスパンで見たら、その一個一個の点には、繋がって線になっていくという意味があったりするんですよ。

だけどそれを線として見ずに点として見たら、この点に意味はあるんですかっていう話になってしまうんですよね。

だから小さい子供ならともかく、ある程度の大人になって、あまり細かい点にこだわってこれに意味はあるのかないのか、みたいなそういう幼い発想では、ちょっと大変だろうなと思うんですよ。

だから大人としては、もうちょっと長い時系列と言うか、長い枠で見て、こういうことは大事だんだなっていうことを知っておいて欲しいです。

そして若い子は、どうしても本人の生きて経験してきた時間が短いわけなので、そこまで俯瞰した目線で見られなくて当然なんですよ。

小学生にそんな大人になってからねっていう話をしても当然伝わらないわけですよ。

だけどそういうことでも伝えていかなきゃいけないのが大人の役割という意味合いもあると思うので、そういう風に学ぶことに関しては、学び方を学んでいるんだと。

小中学生の頃は、学び方を学んでいて、それが実は人生にとってすごく大事なんだなっていうことをまず知っておいて欲しいし、若い子には教えてあげて欲しいと思うんですね。

学ぶことが苦手になってしまった人へ

そして今これから学ぶ人。若くても若くなくても学び続けないといけない時代なわけなので、なかなか学び方が分からないとか、新しいことが入ってこないとか、知らない領域のことが全然分からない人も多いと思うんですよ。

そういう人は、多分学び方がわかってない。学び方が苦手になってるところがあると思うんですね。

だからこれから学びたい、もしくは今の自分がちょっと新しいこと覚えるのが苦手とか、試験や資格を取れないという人は、

初心に立ち返って、小中学生の頃にどんなことをどのように学んだかをもう一度見てみるとか、学んでみるとかもすごく価値があると思います。

やはり小中学生をすっ飛ばして、そういった基礎をすっ飛ばして、上に知識だけ大人っぽいものをいっぱい乗せたところで、入らない人は入らないし、

それが難しい内容、最先端の内容になればなるほど、昔はちゃんと出来た大人であっても辛くなってくるのは当然なんですよね。

だから辛くなってきたら、もう自分なんかだめだ、もう新しい人にはついていけないやっていう風に思うんじゃなくて、

それこそ一度基礎に立ち返って、なんか小中学生の学習ドリルをまた買ってきてやるぐらいでもいいんですよ。学ぶ経験、学ぶ習慣を取り戻すことも凄く大事なんですね。

一見、いい年してもう40,50になって、中学生のドリルをやるなんて、えって思うかもしれないんですけど、実際やってみたら思った以上に難しくて出来ないと思うんですよね。

それが単なる記憶問題じゃなかったとしても、やはり難しいと思うんですよ。

昔はできたはずだけど、今はもうできない。その状態を認めるのは本当はおかしいんですよね。

本来、中学校の頃にできたからもういいじゃないか、今できなくていいじゃないかっておかしいんですよ。

じゃあ中学生よりあなた劣っているんですかっていう話なんですよね。

中学生時代にできたことは、大人であるならば出来なきゃいけないんですよ。

それが出来なくなってるとしたら、必要がないからその部分の能力が退化してるって事なんですよね。

でも学ぶことに関しては、退化すればするほど、あらゆる面において不利になっていくので、

それは定期的に小中学生の問題集を解くとか、子供と話をしてみるとか、もしくは人に教えられるように勉強してみるとかして、

すごく基礎的なところから自分を鍛え直す必要があるんじゃないかなと思います。

それでは今回は以上となります。ありがとうございました。

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