やりがい欠乏症の人へ

どうもこんにちは G です。
今回は、自分の仕事や生活にやりがいがない「やりがい欠乏症」の人に処方薬となる考え方をお話したいと思います。

自分の仕事にやりがいを感じてますとか、人生いろいろやることは多いけど毎日楽しいですっていう人はそう多くはないと思うんですよ。

で、やりがいがないから転職したいですとか、もっといい仕事に就きたいですっていう人もいれば、年配の人でもうたくさん稼げるようになってしまって、これ以上何か新しいこととか更なる上を目指す気になかなかなれないです、そんな気力が出てこないんですという社長さんとか幹部の方も結構いらっしゃいます。

やりがいがない理由

そもそも「やりがい」とは

このやりがいがない、やりがいが欲しい、やる気を出したい、モチベーションを上げたい、言葉は色々だと思うんですけど、そのように行動するためのエネルギーが今の自分には不足してるということですよね。

だからそれが欲しい、そういった環境に行きたいっていう人は多いと思うんですけど、そういった人たちに考えて欲しいのはそもそもやりがいとは何でしょうかってことなんですね。

かつて人が労働をしていたのは、自分が必要なものを手に入れるためでした。

蛇口をひねっても水が出ないから、重い水を遠いところまで一生懸命汲みに行かないといけない。必要な水を手に入れるために労働していたわけですよね。

食べ物がなくては生きていけない。だから畑を耕すとか動物を狩るとかして労働して自分の食べ物を手に入れてたわけです。

こういったことをしていた時というのは、自分の労働と必要なものを手に入れることが直結していたんですね。

必要なものを手に入れるために労働するから、たくさん労働すればたくさん必要なものが手に入るんですよ。

たくさん水を汲んでくれば水を潤沢に使えるし、たくさん働いてたくさん収穫を得れば、たくさん食べることができる。たくさん子供とか家族に食べさせることもできたんですよね。

だから必要なものが足りない時代だったから一生懸命働いて、その必要なものを十分に手に入れることはすごく幸せなことだったわけです。

そこにやりがいというものがあったんですね。

やりがいが見つからないのは当然

ところが時代がどんどん効率化されて進んでいったから、今の人の労働というのは必要なものを手に入れる事にあまり直結してないんですよ。

生活が便利になり、必要な物がそもそも縮小していってるから、最低限生きていくためにしなきゃいけないことってすごく少ないんですよね。水道代のために働いてる人っていないじゃないですか。

働かなかったら本当に餓死にする人もそう多くはないですよね。

最低限の仕事をしてれば最低限のメシは食える。生きていくことはできる人の方が大半だと思います。

そうすると本当に自分に必要なものを手に入れるために働いてないっていう状態になっちゃって、当然やりがいが生まれようがないんですね。

そうなってくると自分のは何のために働いてるのかわからなくなってきて、目的が失われて、今度は暇ができてくるわけです。

その空白の暇っていうものは何も生まないだけじゃなくて、自分が労働で稼いだお金とか、そういったリソースを使ってその暇を潰さないといけなくなるんですね

退屈だから何かしよう、暇だから何かしようっていう風にして、わざわざその暇を潰さないといけなくなる。

そうするともっと虚しくなったり、もういいやとか燃え尽きたりしてくる、そういう悪いループに入るんですよ。

だから今の時代、自分が生きていくために最低限必要な物を求めて働くと、そこにやりがいが見つからないのは当たり前なんですよ。

やりがいは仕事を変えても見つからない

だからやりがいがない、今の職場ではやりがいがありませんっていう人は、どこか別の職場に行けばそこにはきっとやりがいがあるとか、やりがいが用意されてるぐらいに思っている人もいるかと思うんですけど、それは当然ないんですね。

どこの職場に行ったところで、自分自身がそこにやりがいを見つけられなかったら、当然やりがいはどこにもないわけですよ。

結局、そのやりがいは幸せの感覚と一緒で、どこかに置いてあるものじゃなくてそこにあるもの、自分がやってることに対してやりがいを見出だせるかどうかだけの話なんですね。

やりがい欠乏症の人がやるべきこと

でも当然やりたくないこと、楽しくないことにやりがいなんか見出せないじゃないですか。

自分のやりがいというのは、自分が欲しいものを手に入れるために動いてる時にしか出ないわけですよ。

だから欲しいものを手に入れるために働いてない時はやりがいが手に入らない、欲しい物を手に入れるために働きましょうっていうことになるんですけど、じゃあその欲しいものとは何ですかっていう話になるんですね。

欲しいものもなかったら、それを手に入れようっていう気持ちにもならなくて、やりがいも発生しないという論法になるわけですよ。

だからやりがいを感じたければ、やりがいのある仕事がしたければ、
まず自分は何が欲しいのかを自分自身に問いかけて明確にしないといけないんですね。

それがたとえ手の届きにくいものであったとしても、それを手に入れるために努力すると決めて行動しないといけないんです。

それに近づいていくための労働であれば、お金の大小とか人間関係だけじゃなくてもやりがいを感じやすいわけです。

だから欲しいものもわからないまま、欲しいものもわからないまま、どこに行ったら手に入るんだろうって言っても何が欲しいのかが確定してないんだから手に入りようがないんですよ。

そういう矛盾をはらんだ悩み方をしても結局幸せにはなれないですよっていう話でした。

それでは今回は以上となります。ありがとうございました。

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