どうもこんにちはGです。
今回は「そりが合わない相手」とはしっかりと距離を置けということについてお話したいと思います。
どうしても合わない人がいるとき
家庭や職場で「そりが合わない人」がいる
まあ職場とか家庭とか、どんな場所でも話が通じない相手、なんか一方的に恨んでくる相手、そりの合わない、噛み合わない人は結構いると思うんですよ。
そういった人がいるからといって、すぐにそこから抜け出すことができない。
例えば親子だったら縁なんか切るわけにはいかないっていうのが現実なわけですけど、だからといってそういった相手との付き合い方を間違えると、人生は不幸になるんですよね。
で、意外と多くの人がそういう家庭であったり職場の上司とか同僚、先輩を相手にして苦しんでいる、ダメージを負っているのをよく見かけるので、今日はそういった人たちとはしっかりと距離を置くしかないんですよっていう話をしたいと思います。
一つの例として、そりの合わない親、話が通じない親をお話したいと思います。
距離を置くしかない理由
まず親だからといって無条件に人格が優れているとか、優秀である、お金持ちであるっていうことは、あまりないですよね。
やはり親と言っても、自分より2、30年早く生まれただけの人間ですから、出来ないこともあるし、自分勝手なところ、ずるいところ、失敗していること、そういったところもいくつかあると思うんですよ。
でもそのまま向こうも大人になってしまってるわけで、逆に子供である自分が親に対して、もっとこうした方がいいんじゃないかとか、なんでそんなことするんだみたいな感じで思ってしまうことも多いと思うんですよ。
それで親が迷惑をかけてくるとか、色々偉そうに言ってくるとか、金銭的にねだってくるとか、何かあったら余計に腹立たしいし、まあ揉めるじゃないですか。
そういった場合、若い、そして優秀な人ほど腹も立つし色々言っちゃうと思うんですよね。
でも言ったところで相手は話も聞かないし、それが解決することがない。で、どんどん揉めるって言う悪いパターンに入るんですよね。
ただ最初の前提として知っておいて欲しいんですけど、相手は時間をかけてその人格になってるんですよね。
親が50歳なら、50年かけてその考え方とか性格が出来上がってるんですよね。
しかも人間というのは、基本的には自分が正しい、間違ってる面もあるかもしれないけど、全体的には自分が正しいって思い込んでる生き物なんですよ。
だからこの二つの要素が固まって、その人を形作っているので、それに対して他の人が「今世の中こうなってるんだし」とか「あなたのやり方だとうまくいってないでしょ」みたいな感じで、
自分の思う、たぶん世間一般的には正しいとされる正論を押し付けたところで、向こうにしたら全然違う世界の全然違う価値観をただ投げつけられて、攻撃をされてるようにしか感じられないわけですよ
そりゃ親も別に求めていないアドバイスみたいなものをぶつけられたら、反発することになって、結局揉める元になるんですよね
でも一緒に住んでたりすると、家の中以外に逃げ場がないわけですから、お互い空気も悪くなり、気分も悪くなって、最終的にはもうあの人は言っても無駄だからみたいな感じで、諦めとストレスばかりが溜まっていくわけです。
その状態のまま何年も我慢してる人をあちこちで見かけるんですけど、やはり親も時間をかけてその人格になったわけですし、自分自身を正しいと思ってるわけなので、いくら家族であったとしても他人が何かを言ったところ変わりはしないんですよね。
相手を変えることはできない
人間が変わる時というのは、何か大きな出来事があって、自分自身が変わろうと思った時しかないんですよ。
それでもなかなか変わらないんですよね。たとえ一緒に住んでるからといって、外部の人間がピーチクパーチク言ったところで絶対に変わらないんですよ。
もうそういう状況で何か自分がストレスを感じるとか、自分がダメージを受けるようであれば、もうその相手とは距離を置くしかないってことなんですよ。
でもそれができない人、できてない人は、距離も置かないくせに相手と揉めてたり、どうせ聞いてくれないし、どうせ怒るしみたいな感じで、なんとなくその環境にいるんですよね。
そして相手からたまに迷惑をかけられて愚痴とか文句ばっかり言うわけですよ。
でも何かを得ることと何かを失うことはバランスが取れているわけで、相手のそばにいる、相手を許すじゃないけど相手の状態を容認しているっていう事は、相手からくる影響も受けるということなんですよね。
だから側にいる限りは、そういった相手の影響を受け続けるっていうバランスが取れてしまうわけなんですよ。
だから相手からのそういう攻撃を受けたくない、相手との関係性をもっと低くしたいのであれば、もう物理的にでも距離を取るしかないんですよね。
だからとっとと家から出てけって話なんですよ。
でもそういう風なことを言うと、「いや、家を出ようにもお金がありません」とか「家を出たら親が追っかけてきます」とか「そんなことすると相手が怒るんです」とか「うちの親は生活力がないから私がいないとダメなんです」とか、そういう風なことを言い出すわけなんですよ。
でも職場の自分の立場と一緒なんですけど、自分がいないと回らないとか、自分がそこから抜けちゃ駄目だって言ってる人で、本当にその人が抜けて立ち行かなくなることなんてありえないんですね。
例えば、自分がいなくなったら親も生活ができないからダメなんだって言ってても、じゃあ明日自分が交通事故で死んだとしても、多分その親は飢え死にはしないですよ。
次の寄生先を見つけるなり、何らかの方法で何とかするんですよね。
逆に言えば、自分がそこに留まっているせいで、相手が次に進む機会を失わせてるとも言えるわけですよ。
だから自分自身のためでもあり、相手のためでもあるんですけど、そういった時はまず距離を置きましょう、可能であれば物理的に距離を置きましょうっていうことなんです。
そして距離というのは物理的なものじゃなくて心理的なものもそうですよね。
例えば親と話すとすぐ口論になるタイプの人がいるんですけど、そういう人はいつも良かれと思って求められてもいないアドバイスをしてたりとか、なんか責めるようなことを言ってたりするんですよ。
もしくは話かけられたときにそれを真っ正面から受けてたりするんですよね。
それはある意味心理的な距離が近いという風にも言えるわけです。
だからそういったことも全部まともに相手しないとか、もう受け流すとか、そもそも生活の時間帯を一緒にしないというのも解決策の一つなんですね。
人間関係を良くする方法
結局、何かうまくいかないことがあって、今すぐは解決できないって不平不満を言ってる人は、自分にも問題があることを認識した方がいいんですよ。
自分がそういう状況にしてしまっていることを考えた方がいいんですよね。
なのにそれを考えずに「相手が変わってくれたら」みたいな発想でいるからこそ相手は絶対変わらないし、自分はいつまでも不幸せなんですよね。
他人というのは、変えられない、変わらないものなんですよ。
変わるような「働きかけ」はできたとしても、それは長い時間がかかるし、それで確実に変わるとは言えないわけです。
少なくとも自分の思い通りには絶対変わってくれないんです。
そんな無駄な事に時間やリソースを使っているよりも、自分自身がそういった場所から離れてしまって、自分の心地いい場所で心地いい相手と心地いい時間を過ごした方が人生の無駄がないんですよね。
そのためにお金が必要とか、やらなきゃいけないことがあるとか、今の居場所を捨てる覚悟とか、いろんなものは必要だと思うんです。
でも何か新しいものを得ることと持っているものを手放すことは、プラスマイナスでバランスがとれるようになっているんですね。
だから今のものを全部残しながら、新しいものは絶対に手に入らないわけです。
それは財布の中のお金を全額残しながら新しいものを買おうとしてるのと一緒なんです。
「何かを手に入れるためには何かを手放す」という当たり前の前提条件を知っておけば、自分は口先だけ動かして、相手だけ変わってくれて、家の中が、会社の中が心地よくなってというのは無理なのは分かると思うんですよ。
だけど現状に不満を言ってる人は、基本そういう発想になっちゃってるんですよね。
そして自分自身は、誰に相談しても「あなたの方が正しい」って言ってくれるような世間一般的にも正しい意見を持っているからこそ自分の方に否があることに気付きにくいんですよ。
正しいことを言ってれば、世の中正しく動くかって言うと、そうではもちろんないんですよね。
正しくないというのは、「その人から見て」という話なので、相手も自分が正しいと思ってる世界に生きているので、お互いに正しいと思ってる。
でもその正しさが違う人間同士が生きてるのが世の中ですから、自分の正しさを押し付けよう、それで相手を変えようっていうのはまあ基本無理なんだと。
だからそんな相手がいた場合は、心理的に物理的にしっかり距離を置きなさい、それしか解決策も幸せも安らかな心もありませんよっていう話です。
では今回は以上となりますありがとうございました。
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