謙虚ではなく“かまってちゃん”!?何も手に入れられない人がやってしまうこと

どうもこんにちは G です。
今回は欲しいものは言葉にしろということについてお話したいと思います。

何も手に入れられない人

「給料を上げて欲しい」と言えない

日本人の控えめとか自己主張を強くしすぎないっていうのは、美徳だしそれをすると恥ずかしい、恥の文化になってしまうっていうので、自己主張を抑える人って多いと思うんですよ。

さらにそういう意味だけではなく、何かを欲しいって言ってしまうと、そのためにこうしろよ、ああしろよっていう風になってしまうことを嫌がって、それすら言わない人、結構多いと思うんですよ。

例えば会社で「もっと給料上げて欲しいです」って言っちゃうと、じゃあお前それに見合うだけの働きしているのかとか、それをやれるぐらいもっと業績上げろよって言われてしまうから言わない。

言わないから、じゃあいらないのかっていうと、そうではなくて、その上司の前じゃない場所、同僚と一緒の時とか家では愚痴ってたりするんですよね。もっと給料欲しいんだけどなぁとか。

そういうことに困ってる経営者の人から相談を受けたこともあって、給料が欲しいって言うなら、もっと稼げる、その代わりもっと結果を出してもらわないといけない仕事を経営者としては振りたかったりするんですよね。

だから給料をもっと欲しいって言われることは、うまくいってる会社においては別に悪いことじゃないんですよ。

経営者にしてみれば、「もっと払う為にもっと稼いでくれるかい?」みたいなものなんですよね。

会社としてはその方が絶対いいわけなんです。だから欲しいなら、「欲しい」って言って欲しいんですよ。

だけどそれを言っちゃうと、もっと頑張らないといけない、結果が出なかったらどうしよう、だったらもう今のままでいいやみたいな発想で、自分の中でぐるぐる考えてしまって、結局言わないと。

言わないけれど欲しいっていう気持ちは消えたわけじゃないので、会社への不満として残るんですよね。

自分は何もしたくない

しかしこれ考えて欲しいんですけど、大の大人が自分の本当に欲しいものを口にしない、しかもそれをしたら自分がそれを手に入れるのに見合った努力をしないといけないから嫌だと、

だから口には出さない努力もしない、だけど「僕は本当は欲しいんだよ、もっと欲しいんだよ、気付いてくれないかないかな、僕は何も努力しないけれど、相手はしてくれないかな(チラッチラッ)みたいな、そういう気持ち悪いことをしてるんですよね。

実際、そういう人って多いじゃないですか。

なんか喋ってて、不平とか不満とか会社の愚痴とか言う人、「俺に言ってどうすんの」みたいな。

もちろん、冷静に考えれば、その人は問題解決したいわけじゃなくて、そこで愚痴を言うというガス抜きをして、自分の気持ちをおさめるっていう事を多分したいんだと思うんですよ。

だからこっちも「そうかそうか大変だね」って言っておけばいいんですよね。

だけど問題解決思考で言えば、関係ない人に愚痴るって全く意味がない行為ですよね。

もしくは、そこで他人に聞いてもらって、自分の頭を整理する、問題を整理するって言うのは百歩譲ってありです。

そうではなくて、大体そういう人って愚痴を言うだけなんですね。

それを俺に言うんじゃなくて、その本人に言えよと。会社の愚痴なら会社に言えよっていう話なんですけど、それを言っちゃうと、

いやいや、そんなこと言うと、空気が悪くなってとか、あの人はそういう話聞かないからとか、あの人キレちゃうしとか、そういうできない理由のオンパレードが、言い訳が出てくるんですよ。

だったら、そのダメな状況を何とかするようにまた考えたらいいんじゃないのって話なんですけど、そもそもそういう愚痴を言う人間は、問題解決思考がないので、そっちには思考が進まないんですよね。

結局、自分は悪くない、自分は何もしたくないっていう気持ちがすごいあるわけです。

“かまってちゃん”になっていないか

これすごく気を付けるべき思考なんですけど、自分は悪くない、そして自分は何もしたくないっていう感情が心の中にある人間というのは、全く成長もできないし、何のステージアップもできないんですよ。

こんな人間とは、もう付き合うだけ時間の無駄なんですよね。

だから自分自身がそれであれば、もうなんとしてでもそんな思考は捨てるべきだし、そういった思考をしている人間が近くにいれば、関係を切るべきなんですよ。

そんな人間と喋ってても引きずられるばっかりで、何も問題解決、つまり良い方向には人生進まないんですよね。

そういう人間の特徴として、本当に自分が望むことをちゃんと口にしない。ちゃんと口にしないくせに「分かってくれたらいいな」っていう期待だけをしている。

そして、みんな超能力者でもなければお母さんでもないんだから、分かってもらえなくて、誰も私のことをわかってくれないって不平不満を言い出すんですよ。

私のこと分かってくれないなんて、思春期の中高生でも最近は言わないレベルですよね。そのレベルの精神年齢の発想じゃないですか。

「わかるわけねーだろ、お前のママじゃねぇんだ」って話ですよね。

わかってほしいなら、ちゃんと手を上げて、ちゃんと自分の思いを言えやと。

欲しいなら欲しいと言えと。嫌なら嫌と言えと。

その当たり前のことをしない、できない人が物凄く多いんです。

そしてそれをできないことを、控えめであるとか謙虚であるとかいう風な勘違いをしてる人間も多いんですよね。

それは奥ゆかしいでもなんでもなくて、ただの何か気付いてほしいかまってちゃんで、精神年齢が低い証拠でしかないわけですよ。

現実を動かせる人

欲しいものを欲しいと言うと、当然そこには摩擦が発生します。だって他にもそれが欲しいっていう人がいるかもしれないし、取り合いになるかもしれない。

さっきも言ったように、それが欲しいのであれば、それに見合う実績を出せって言われるかもしれないから。

だけど、じゃあそれをクリアすればいいだけの話ですよね。

摩擦を乗り越えればいい話、他の人と奪い合って、自分が勝てばいい話。求められる実績や成果を出せばいいだけの話じゃないですか。

多くのものを世の中で手に入れてる人というのは、実際にそれをちゃんとクリアして、手に入れてるわけですよね。

何も実績を出さずに成果を出さずに、ただ欲しいな欲しいなとか言って、誰かわかってくれないかな、誰かくれないかなーって、それを手に入れた人なんてこの世にはいないわけですよ。

そんな当たり前のことをちゃんと気付いて、もう大人なんだからね。

言わなくても気付いてほしいって言う赤ちゃん的な思考から脱することができれば、現実って動くと思うんですよね。

ところがやっぱりサラリーマンの方とか、そういう人と話をしていても、もう結構いい歳した30過ぎた人でも気付いて欲しいなー(チラチラ)みたいな人が本当に多いんですよ。

自己主張することが悪みたいに思ってて、傷つきたくないからね。

でもそれじゃあね、やっぱり何も手に入らないわけですよ。

ということにもう早く気付いて、何か痛みが発生したとしても、自分が欲しいものはちゃんと欲しいと言う、やりたいことはやりたいと言う。

そのために対価が必要であれば差し出すっていう人生のコースを選んでほしいなと思います。

じゃあ今回は以上となります。ありがとうございました。

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