批判するのはバカ確定!?頭の良い人がやっていること


どうもこんにちは G です。
今回は批評家ではなく分析家になれということを話したいと思います。

批評家と分析家の違い

批評はバカのやること

批評家ではなく分析家になれというのは、察しの良い人はこれだけでもう全部お話したい内容はわかっちゃうと思うんですけど、世の中には批評家が凄く多いんですね。

何かについてその悪いところをあげつらって批評するっていうのは、実はバカでもできることなんですよ。

というかバカがよくやることなんですよね。

これをやる時点で、実はバカであると自分で名乗ってるようなものなのに、なぜか人を批判してるから自分の方が上であるような気分になってしまって、そういう人を責めたい、人を責めて優越感を得たい人っていうのは、すぐそれをやってしまうわけなんです。

これも本人は単に批評しているっていう風に気づいてないことが多いんです。

相手の悪いところを指摘してあげてるぐらいに思ってしまうことが多いんですよね。

つまり自分はよく分かってる、あれをやってる奴らはよく分かってない、もっとこうすべきじゃないのか、これじゃだめだ、みたいなことを言って、それが分かる自分は賢いという風に誤解してるわけです。

頭の良い人がやっていること

ところが批評家っていうのは何も生み出さないし、それを言うこと自体が目的になってるので、実は何の価値もないんですよね。

大事なのは、何か問題があるのであれば、それをどのように改善すべきなのかっていう風に考えるべきだし、逆に今相手がそれをしている理由はなぜなのか、どうしてそういった状態なのかっていうことをちゃんと理解することなんですよ。

なんか一方的な目線で、例えば「今の日本って景気良くないじゃん、もう政治家全員バカなんだよ」みたいに言う人っているんですよね。

あいつら仕事しねーからって、何を見てきたか知らないんですけど、そういうことを言うと。

じゃあお前やんのかとか、何か変えられるのかって言ったら、当然何の代案も持ってないわけですよ。

じゃあなんでそう思うのって聞くと、役所に行ったら待たされたからとか、必要のない工事してるからとか言うんですよね。

でもなぜその工事をしているのか、なぜ役所で待たされたのかっていうことは一切考えないわけですよ。

そこに正当な理由があったり、ちゃんとした根拠とか改善点があるかもしれないのにそこは一切考えない。

単に自分が感情で感じた不平不満を相手を否定するためにぶつけて、自分は正しいことを言ったと思い込んでるだけなんですよ。

それでは意味がないんですよね。

なぜ時間がかかったのか、それは相手の問題だったのか、自分の問題だったのか、社会の問題だったのか、じゃあどこをどういう風に改善すればこの問題は解決するのか。

行く時間をずらせばいいのか、事前の準備をしっかりしていけばいいのか、行く場所を変えればいいのかっていう風に考えていけば、自分がより良い扱いを受けるためにするべき行動って見えてくるじゃないですか。

だから賢い人はそれをやるから次からは待たされなくなるとか、次からはそういう不満を抱いてしまうような思いをしなくて済むんですよね。

どんどんと生きていけば、どんどんと世の中は快適になっていくわけですよ。

愚か者のループから抜ける

でも愚かな人っていうのは、そういったことを一切考えない、分析をしない。

批判だけをするから、あいつらが悪いで思考停止するんですね。

相手が悪いんだから自分はもう何もしなくていいと思ってる。

だから自分はまた同じことを繰り返して、同じように待たされて同じような不満を抱えるんですよ。

また世の中が悪いんだ、あいつらが悪いんだっていう批判をするんですね。

ものすごく愚か者のループに入ってるわけですよ。

残念ながらそういう人は結構多いわけです。

相手の事情を察するとか、相手の何か良くないことがあったときに、その理由を考えるっていうことは実は非常に大事なことなんですよね。

例えば昔のネイティブアメリカンのことわざでも、「人を批判してはいけない。その人の靴を履いて1マイル歩いてみるまでは」みたいな言葉もあるんですよ。

つまり相手の靴を履いて、1マイル歩くっていうのは相手の価値観、相手の歩幅で生きてみる、それを考えて感じ取ってみるってことだと思うんですけど、

それをすると、やはり相手の立場だったらこれをするのは当たり前だなとか、これをするのは仕方ないなっていうこともあるわけです。

その相手の事情とかを考慮したら、じゃあどうすべきかっていう答えが見えるはずなんですね。

でもそういう人は結構多いと思うんですよ。

それを考えなかったら、結局、自分は全然違う立場からただ正論を吐いてるだけになっちゃうんですよ。

分析家として生きる方法

自分の価値観、自分の立場をもう絶対のものと思って、自分より下にいる人を「あいつらは努力してない」ってけなす。

逆に自分より上の人を「あいつらはずるい。悪いことをしてるからあっちにいってるんだ」ってけなす。

自分のポジションを全て基準にしまうから、上を見ても下を見ても不平しか出ないわけなんですよ。

でもそれじゃあ、そのポジションから一生動けないっていうことに気づかないといけないんですね。

自分よりも上の人を見たとき、その人のいいところをしっかり見て、じゃあ自分もそれを取り入れていこう、自分もその人たちのようになろうと思えば、自分はどんどん上に行けるわけです。

自分よりも下の人を見たとき、その人たちが困っている理由というのがわかれば、その理由を何とかして彼らを助けることができるかもしれないし、また自分がそういったところに落ちないように用心することもできますよね。

だから何に関してもきちんと分析をして、理由を見つけて、いいところは取り入れる、悪いところは避けるっていうことをすれば、いいことしか起きないわけなんですよ。

だけど、そこに今の自分が正しいっていう風に思い込んで、そこからのマウンティングとか、そこからの批判をやってしまうと、もう今以上には幸せになれないんですよ。

これをちゃんと理解すれば、人間っていうのは本質的に今よりも幸せになりたい生き物ですから、自分がやるべきことは見えてくると思います。

そういった意味で、批評するっていうことは、全く何の意味もないと。

悪い馬鹿のループにしか進めないっていうことを肝に銘じて、することは批判批評ではなく分析

いいところも悪いところもきちんと理由を考える。そしてその状態に対して問題解決を考えるということこそが大事なわけです。

それでは今回は以上となります。ありがとうございました。

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